網浜直子、参院選落選の夫・松山三四六氏の12年前の不倫“文春砲”まで知らず「腹立たしい」

松山三四六氏。右は妻の網浜直子

タレントの網浜直子(53)が13日までにインスタグラムで文書を発表し、10日に投開票が行われた参院選長野選挙区(改選1)に自民党公認で出馬し、落選した夫の松山三四六氏(52)の不倫騒動について謝罪した。

網浜は、文春オンラインが6日に報じた、松山氏が12年に当時20代だった女性と不倫し、女性が妊娠した際、人工妊娠中絶同意書に偽名で署名していた件について「今回の報道が出るまで何も知らずに過ごしてきた自分にも腹立たしく、傷つけてしまった方に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と、報道されるまで全く知らなかったと明らかにし、怒りと反省の思いをあらわにした。

網浜は

「この度は、主人 松山三四六の為に温かい沢山のお気持ちを頂戴したにも関わらず、この様な結果となってしまい誠に申し訳ございませんでした。夫の不誠実で未熟な行動が、皆様に多大なるご迷惑、そして不快な気持ちにさせてしまいました事、大変申し訳ございません」

と松山氏の不倫報道について謝罪。参院選の遊説には2人の息子も伴い、不倫騒動後も参加していたが、自身も報道があるまで夫の不倫について関知していなかっただけに

「報道以降の活動におきましては、私自身と息子共がご挨拶に伺う事が正しいとは思えなくなっておりましたが、最終日はお詫びと感謝の気持ちを込めて遊説に参加させて頂きました」

と当時の複雑な心中をつづった。

選挙戦中の8日には、安倍晋三元首相が応援演説のため長野入りする予定だったが、7日午後に取りやめ、調整し直した結果、奈良、京都、埼玉の3県の応援に入ることが決まった。そして同氏は8日午前に奈良市内での参院選の街頭演説中に銃撃され、67歳で亡くなった。網浜は、投稿の冒頭で

「安倍元総理大臣のご逝去を悼み、謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます」

と安倍氏への追悼の思いをつづった。そして投稿の最後に

「これまで至らない主人を、最後の最後まで支えてくださった皆様には心の底からお詫び申し上げます。そして最後に、私や息子達まで見守って下さった信州の皆様に感謝申し上げます。本当に有り難うございました 松山三四六 妻 直子」

とつづった。

松山氏は「日本のど真ん中、信州からつむじ風を起こす」と、地域創生を掲げて出馬。長野県内でラジオパーソナリティーを長く務めてきた、ローカルタレントとしての知名度もあり、立憲民主党現職の杉尾秀哉氏(64)と接戦を展開する中で“文春砲”の直撃を受けた。

選挙期間中に報道の事実関係は認めたものの、説明はなく、説明責任を果たしていないと各所から批判が噴出。安倍元首相の銃撃事件の後には、事務所に「次はおまえだ。ライフルを持っている」などとする脅迫電話がかかり、警察にも届け出る騒動も起きた。

投開票日前日の9日には、ツイッターに

「有権者・各級議員・後援会の皆様、スタッフ、ボランティア、家族に至るまで、数えきれないほどの支えがなければ、今回の選挙戦を最後まで戦い抜くことはできませんでした。18日間、本当にありがとうございました。心より深く感謝申し上げます。」

と関係各位に加え、網浜と2人の息子にも感謝の思いを投稿していた。

ただ、結果的には杉尾氏に5万7000票あまりの差をつけられ、落選。長野市内のホテルで改めて説明会見に応じた松山氏は「人として不誠実だった。悩んだ末に選挙戦を優先させたが、期間中に説明すべきだった。初めて経験する過酷な選挙戦で正常な判断ができなかった」と反省。報じられた不倫騒動については「立候補要請を受けた時には忘れていた。この問題を覚えていれば出なかった」と説明。会見の最後には、「過去を消す消しゴムはありません。これを背負って今後、精進していきます。すべて私の責任です。申し訳ございませんでした」と、頭を下げていた。