82年「転校生」(大林宣彦監督)、83年「家族ゲーム」(森田芳光監督)、99年「ナビィの恋」(中江裕司監督)など多数の映画をプロデュースし、4月18日に肺がんのため83歳で亡くなった、映画プロデューサーの佐々木史朗(ささき・しろう、本名正路=まさみち)さんのお別れの会が26日、都内の如水会館で開かれた。
佐々木さんの早大の後輩にあたる室井滋(63)は、スピーチで感謝の言葉を繰り返した。最初の出会いは早大シネマ研究会の上映会で、もぎりをしていた時で「大学の上映会に、偉い人が来るらしいという話になった。何で見に来てくれるんだろう? と不思議だった」と振り返った。その上で、上映会後に話をしていくことを重ねる中で「焼き肉、焼きしゃぶをごちそうになった。最初に、ごちそうしてくれたのは史朗さん」と感謝した。
室井は、佐々木さんがプロデュースし、作家の村上春樹氏の小説を初めて映画化した81年の「風の歌を聴け」(大森一樹監督)に出演し、早大在学中に映画デビューを果たした。当時を振り返り「当時、たくさんの自主映画に出演していて、初めて佐々木さんから『大森監督が出ないかって言っているけれど、いい?』って。そんな、ありがたいお話はなくて『お願いします』って言って…それがデビュー作になりました」と振り返った。その上で「自主映画の仲間、みんなお世話になりました」と感謝した。
佐々木さんは、亡くなる前の週まで、自身が創立した映画製作会社オフィス・シロウズに、コロナ禍の中、酸素ボンベを引いて通うなど生涯、現役で活動し続ける一方で、終活をしていたという。長女の三上その子さんは「亡くなった日は、30数年前の母の命日に倒れて亡くなった。やられた…母が連れて行っちゃったと思った」と涙声で振り返った。
佐々木さんは、肺がんが終末期に入っていたが、愛してやまなかった、たばこ「ピース」が吸えなくなるからと、頑なに入院を固持していたという。三上さんは「母も多分、父が入院して大好きな、たばこを取り上げられて、長引いて寝ついてしまうのを嫌がって怖がっていたのが、すごく分かっていたと思う。私も一緒に住んで4年目になり、見守りが大変で睡眠不足が限界だった。それも母は分かっていて連れて行ってくれたんだと思う」と語った。
佐々木さんの祭壇の中央は「ピース」のイラストがモチーフにされた、黄色の花で彩られた。三上さんは、佐々木さんが妻の典子さんの葬儀で、妻をたたえた言葉を引き合いに
「お父さん…いい仕事、したね」
と呼び掛け、参列者に一礼した。
お別れ会には、約400人が参列した。主な参列者は、以下の通り。
◆俳優 西田尚美、村上淳、ベンガル、古舘寛治
◆映画監督 根岸吉太郎、長崎俊一、中江裕司、李相日、沖田修一、ふくだももこ、熊切和嘉、諏訪敦彦、阪本順治、塩田明彦、岨手由貴子、成島出の各監督