三遊亭円楽さん「落語の笑いが要求される時代待ちたい」コロナ後見据え業界盛り上げ誓っていた

21年10月、5代目三遊亭圓楽さんの墓前で思い出を語る円楽さん

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

落語家三遊亭円楽さんが9月30日に亡くなった。芸能記者4年目で、初めて取材したことのある方の逝去だった。インタビューをしたわけでもなく、面識はない。一度だけ落語担当記者の代打で現場にいっただけだったが、幼い頃から日本テレビ系「笑点」(日曜午後5時30分)で見ていた円楽さんの取材は印象に残っている。

取材したのは昨年10月28日。09年に亡くなった落語家の5代目三遊亭圓楽さんの十三回忌法要だった。6代目円楽さんが取り仕切り、好楽(76)ら三遊亭一門の面々が参加していた。

円楽さんは、湿っぽくなりがちな法要でも、先代のことを上手にイジりながら笑いを交えて取材に応じてくださった。「お師匠さんは、弟子にとってもご家族にとっても、『大変な』師匠だったと思います。乱暴というか直情というか…。とにかく、正直に生きて、自分に逆らうものはつぶしていくという(笑い)。そんな師匠でございました」と振り返って笑いを誘っていた。

さらに、圓楽さんからよく怒られたという話題で盛り上がった際には、「トラウマに近いものがありましたね」といい「優しい日もあるんですよね。『これは小言じゃないよ』といったのは、小言の始まり。常套句でございました」などと笑わせてくれた。

取材後に円楽さんと旧知の他紙の先輩記者と最寄り駅まで歩いた。すると駅に1台の軽ワゴンが入ってきて、人を下ろした。運転席には円楽さんが乗っていた。どうやら、関係者を駅まで送っていたようだった。隣にマネジャーを乗せ、自らハンドルを握っていた。あれほどのスターと軽ワゴンという組み合わせにギャップを感じていると、すっと窓を開けた。私の隣にいる旧知の記者に気がつき、こちらに向かって「ありがとう! また!」と手を振った。さりげないワンシーンに人柄の良さを感じた。

円楽さんが亡くなって、自宅前に張り込むことになると、そこにはあの日の軽ワゴンが静かに停まっていた。前までいってみると、ナンバーが「874」になっていた。先の旧知の記者によると、「はなし家」をもじった番号だという。2軒先にも別宅があった。そこにはスターらしいどデカい外車が停まっていた。そちらのナンバーも「874」だった。直接お話ししたことはないし、詳しいお人柄もわからないが、こだわりをもった性格がうかがえた。

圓楽さんの法要は、円楽さんが今年1月に脳梗塞を患う3カ月前のこと。当時は肌つやもよく、声も力強かった。取材では、さまざまな協会のある落語界の未来についても語っていた。「うちのお師匠さんは、孤高の人といいましたが、我々一門は積極的な外交でもっていろんなご一門と切磋琢磨(せっさたくま)して落語というものを盛り上げていきたいと思います」と誓っていた。

さらに「落語家というのはすごいなと思うのは、コロナ禍で辞めたというのは聞いていません。みんなで踏ん張っていますので、不要不急が、要、急となる時代に、本当に落語の笑いというものが要求される時代を待ちたい。来年(22年)あたりから出口が少しずつ見える。忘れられたところをどんどん攻めていきたいと思いますのでよろしくお願いします」と意気込んでいた。その声を聞いて、1年足らずで帰らぬ人になってしまった。残念でならない。【佐藤成】