松本人志ものまねでブレイクしたJP、なぜチャンスをつかみ取れたのか…本人から感じた理由

松本人志のものまねをするJP(2022年10月撮影)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

ダウンタウン松本人志(59)のものまねでブレイクしたJP(39)が、チャンスをつかみ取ることが出来たのは、なぜか。本人に直接、話を聞き、その一端を感じることができた。

JPは5日、都内で行われた米映画「ソングバード」(アダム・メイソン監督、10月7日公開)公開記念イベントに登場した。初めての映画のイベントで「僕、19年目。ものまねを20歳からやってきて、松本さん(のものまね)も19年やってきて…考えたら19年、待てます? カップ麺も待てませんから、僕」と語った。

JPは、今年1月7日に放送されたフジテレビ系「人志松本の酒のツマミになる話」の中で、松本本人から「あいつ、メチャクチャうまいな」と褒められた。JPは同日、番組のあまりの反響の大きさに、ツイッターに「なんかえらい事になってる、、松本さんありがとうございます!!」(原文のまま)と、感謝の投稿をした。

その後、松本が新型コロナウイルスの濃厚接触者となり、自宅待機となった影響で出演しなかった、同30日に同系で放送された系「ワイドナショー」(日曜午前10時)に、松本に扮(ふん)して代役で出演し、ブレークした。JPは「代役という、芸能界で類を見ない出方をしたのは、心が折れず、やり続けたからだなと。コロナ禍だからこそ、出来ることをやってきたら、見てくれた神様がいたんだなと。僕は、そう思いましたね」と、かみしめるように語った。

イベント後の囲み取材で、ブレークするまでの19年間がつらかったか? と尋ねた。JPは「つらかった。出口が見えないトンネルを走っているような感じ。方向性が合っているのかな? みたいな」と振り返った。一方で「1、2年目だったら、入り口が分かっているから戻れますけど。19年走ってきたトンネルを19年、かけて戻るのもしんどい。だったら出口、見つけたろうと。しんどかったですけども絶対、出口はあると思って走り続けていた」とも語った。

なぜ、出口があると思えたのだろうか? JPは

「それこそ、本当にお笑いの力、テレビの力」

と、一言で言い表した。その上で、こう続けた。

「SNSとかもありますけど、僕はテレビを見て育った人間なので、絶対に松本さんのものまねでテレビに出よう、絶対に世に出ようと思った」

はっきりと言い切った言葉だが、根拠は全くなかったという。

「とにかく、こうするからこうで、売れるという根拠がなかった。そうじゃなく、気合と根性と言ったら変ですけど、絶対に売れると思っていたので、トンネルでも走ることができた」

JPがブレークしたコロナ禍の中、テレビ各局もワイドショー、情報番組を中心にリモート出演が増えたり、そもそもゲストの数自体を減らしていった。そんな厳しい中でも「いつか(テレビ番組の)あの席に座ろう」と思えたのは、なぜだったのか。JPは「僕の本名は、前坂淳平なんですけど、前坂淳平はJPの1番のファンであり、JPという商品が絶対に売れると思っている、確固たる自信のある、1番の名プロデューサー。(JPを)信じてあげないと売れない」と力を込めた。

JPという“商品”に、そこまで自信があると断言しながら、いまだ「周りから『良かったね』と言われても、売れている実感は正直、ない」という。「あれだけ、売れたいと思っていたのに今、世に出てしまったら実感はない。今、あるお仕事1つ、1つを本当に、愚直に感謝してさせていただく」と、あくまで謙虚に語った。

テレビに出るチャンスをくれた松本、生んでくれた両親から、人生に関わってくれた全員にも「少なからず幸せになってもらいたい」と感謝しているという。その上で、所属事務所の研音にも感謝した。同事務所は唐沢寿明、山口智子夫妻をはじめ、山崎育三郎、福士蒼汰、川口春奈ら人気、実力を兼ね備えた俳優が多数、所属しているが、お笑い部門はない。「何よりも、やっぱり事務所の方に感謝かな。お笑いの分野がない中で、4年前に入れていただいてから、ずっと模索しながら、どう、世に出したらいいか考えていただき、出していただいた」と、ともに歩んでくれたことに深く感謝した。

感謝の範囲は、取材した我々メディアにも及ぶ。「チヤホヤしていただいているうちが、華やと思ってますんで、その後は出来ることがあれば、結婚式にも行きますんで」と我々、取材陣に約束した。

JPは、とにかく

<1>自分のことを、誰よりも信じる

<2>自分に関わってくれた人に、どこまでも感謝する

どちらも口で言うだけなら簡単だが、貫き続けることが出来る人間が果たして、どれくらいいるだろうか? 例え、今年ブレイクしていなかったとしても、JPは迷わず松本のものまねを続けていたであろうし、周囲への感謝の念も、変わることなく持ち続けていただろう。そう、確信を持って言えるほど、JPの言葉には迷いがなかったし、何より、語る声が突き抜けるように明るかった。

ブレイクした秘訣(ひけつ)などない、ただ、真っすぐに生きてきたんだ…という、JPの心の声が聞こえてきた思いだった。【村上幸将】