放送作家前田政二氏「ダウンタウンの初めてのお友達は僕」故郷大阪交野で新人お笑いコンクール企画

日本のお笑い界を長年支えてきた前田政二(撮影・野上伸悟)

放送作家前田政二氏(56)が、4月23日に大阪・交野の「星の里いわふね」で決勝が行われる関西お笑い界の若手の賞レース「第3回北河内新人お笑いコンクール」で企画・プロデュース、審査員長を務める。

1982年(昭57)に、ダウンタウンらとNSCに1期生として入学。漫才コンビ、銀次・政二として売り出しながら、1年8カ月で解散。フジテレビ系「オレたちひょうきん族」で「何人トリオ」のメンバーとして活躍しながら、96年には作家に転向した。故郷・交野への思い、そしてお笑いへの熱い思いを聞いた。【小谷野俊哉】

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「北河内新人お笑いコンクール」はこれまで、コロナ禍の20年9月、昨年3月に開催。3回目にして、ようやく人数制限なしでの開催にこぎつけた。主催は生まれ故郷の交野市商業連合会。プロアマ問わず結成8年目までの漫才、コント、ピン芸、グループ芸が対象だ。

「お笑いの仕事をしている中で、芸人時代からいつか新人賞を立ち上げようって思っていて、故郷の交野でやってみようって思いました。主催する交野の商業連合会の会長さんが、僕の小学校時代からの幼なじみの1歳上の野球の先輩だったんです。紹介してもらって相談したら、予算がついたり、動き出しました」

交野は、大阪の中心・なんば、キタからも電車を乗り継いで1時間ほどのところにある。

「交野って、すごく自然が豊かなんです。山が近くて、自然があって…。東京で例えると府中みたいな感じでしょうか。桜の名所で、平安時代には貴族が交野で花見をしていたらしいんです。花見をしながら歌を詠んでいた…。なんか芸能的なことも楽しんでたんじゃないかと思っています」

今回のゲストには、交野出身のプラス・マイナスをはじめ、昨年暮れのM-1グランプリ準優勝のさや香、大御所のザ・ぼんちも出演する。

「プラス・マイナスは同じ交野の後輩ということもあって、1回目から出てもらっています。さや香はM-1で活躍する前からブッキングしていました。若手で人気急上昇中ですけど、正統派の漫才がいいですね。やっぱり、しゃべくり漫才が一番強いですから。あとは、漫才ブームのトップを走っていた、僕らの年代からすればレジェンドなので、ぼんちさんにお願いしました」

82年に吉本興業の養成所、NSCに入所した。同期にはダウンタウン、トミーズ、ハイヒールと、今も吉本をけん引している世代だ。自身は高校を中退して、17歳で入所した。

「僕は結構、やんちゃなヤンキー(不良)だったんです。後に銀次・政二っていうヤンキー漫才を組むんですが、本物のヤンキーでした。そのヤンキーがNSCに入ろうと思ったのは、紳助・竜介さんとさんまさんの影響です。さんまさんは中学の時から、MBSラジオの『ヤングタウン』を聞いてました。そのあと漫才ブームが始まって、紳助・竜介も出てきて、僕もヤンキーになって。紳竜みたいなヤンキーでも、お笑いになれるんだと思っていました」

NSCの1期生として出会った、ダウンタウンの松本人志(59)と浜田雅功(59)は、当時は暗かったという。

「2人とも、とにかくしゃべらない。誰ともしゃべらないんです。ダウンタウンの初めてのお友達は、僕なんですよ! 僕は野球部もやってたし、おもしろいものまねのできるヤンキーで(笑い)。NSCに入ってから、すぐにいろんなやつと友達になってたんですけど、松本と浜田は近寄らない。それでも『NSC寄席』みたいなのがあって、ネタができるやつはちょっとやってみろと。その時に僕は、ものまねの漫談を1人でしたんですけど、2人が漫才を始めてめっちゃおもろかった。大ウケだったんですけど、終わった瞬間に暗くなった(笑い)」

ダウンタウンと仲良くなるきっかけは、野外の大阪城音楽堂でのコンサートの準備だった。

「さんまさんと紳助さん、たけしさんがコンサートをするっていう時があったんです。朝の7時ぐらいから集合させられて、朝から会場の椅子とかを拭かされてたんです。で、後ろから浜田が『ちゃんと拭いてんのか~ッ』って、ケツを思いっきり蹴り上げやがった。浜田が、自分の雑巾を持ってニターッと笑ってるんです。こいつ、頭おかしいんちゃうかと思いました。思わず『うん、拭いてる…』って言ったら『そうか』って言うて、ニターッてしながら、僕のすぐ横の椅子を拭きだしたんです。それから仲良くなっていった。僕が浜田としゃべってんのを見て、松本もしゃべってきたんです」

前田氏も、コンビの道を歩んでいくことになる。

「ピンでやろうと思ってたんですけど、漫才もええなと。そこでフジテレビの昼の帯番組『笑ってる場合ですよ』の『お笑い君こそスターだ』っていうコーナーに出るために、6歳年上の菅野銀次と銀次・政二を組むんです。5週勝ち抜いてチャンピオンになって、うめだ花月で10月にデビューさせてもらいました。だけど、相方とけんか別れして1年8カ月で解散。ピン芸人になりました」

ピン芸人になって、明石家さんま(67)の引きで、フジテレビ系「オレたちひょうきん族」に出演するようになった。

「さんまさんが『ラブ・ユー貧乏』っていうコーナーを作るのに、村上ショージさんとMr.オクレ兄さんと『何人トリオ』を組ませてもらって。最初は『難民トリオ』で貧乏話をしていたんですけど、テレビ的に名前がまずいから『何人トリオ』になりました」

お笑い界では萩本欽一(81)が「大将」、ビートたけし(76)が「殿」、そして明石家さんまは「若」と呼ばれる。そのエピソードも明かしてくれた。

「若って、なんの迷いもなく言えるのは、もう僕とジミーちゃん(ジミー大西)だけですね。NSCの1期生になって出会って、さんま兄さんと呼んで尊敬していました。ある日、ひょうきん族の楽屋で『政二、たけしさんのとこって『たけし軍団』やってるやんけ。で、萩本さんは『欽ちゃん劇団』。うちもなんか名前つくれへんか』って。それで『ファミリーはどうですか』って。僕とさんまさんが好きな映画『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネファミリーからです。それから、さんまさんの呼び名を考えていたら、横から太平サブロー・シローのシローさんが『若とかどうでっか?』って。『オッケー、じゃあ今日から俺らはさんまファミリーで、俺は若』って」

26歳の時に「ひょうきん族」を卒業。その後は東京でピン芸人をしながら、俳優、リポーターとしても活動したが、30歳で作家に転向した。同時にNSCの講師を始めた。

「誰かの弟子にならなければ芸人になれない。そんな時代を終わらせたんです。今、NSCでは4月にスタートして、9月くらいから漫才以外のことを教える前田選抜クラスをスタートさせます。卒業の時に最後に贈る言葉は『かわい気のある芸人になれ』。それが、後の仕事につながっていくので」

現在は、準決勝までのM-1の審査員も務めている。

「お笑いは、人それぞれ好みが違うから、思わぬ芸人が落ちたりもする。僕はM-1の予選が始まる8月から決勝が終わる12月までは、教え子であっても絶対にご飯を食べに行ったりしません。それが、僕の中での決まりです」

お笑いに対して優しく、厳しい。ヤンキーで暴れた故郷に、今度はお笑いで恩返しだ。

◆前田政二(まえだ・せいじ)1965年(昭40)2月23日、大阪府交野市生まれ。82年に吉本興業の養成所、NSCに1期生として入学。在学中の同年8月に漫才コンビ、銀次・政二を結成。同年10月にうめだ花月でプロデビュー。83年、「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」大賞。84年4月解散。その後はピン芸人として活動し、ドラマ、ビデオ映画、リポーターとしても活躍していたが、96年に放送作家に転向。