黒澤明監督作品が人の心をとらえる不朽の理由…本人の言葉から考える 名作リメーク英映画も公開

「生きる LIVING」の1場面 (C)Number9Films Living Limited

<ニュースの教科書>

黒澤明監督の名作をリメークした英映画「生きる LIVING」が31日に公開されます。オリジナルから70年を経ての再映画化は、他の黒澤作品同様に普遍のテーマが貫かれている証しでしょう。今も人々の心をとらえる不朽の理由を本人の言葉を交えて考えてみましょう。

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黒澤監督の「生きる」は05年、米タイム誌の「史上最高の映画100本」に選出されています。同誌は「黒澤は厳しい現実を、優れた人間性を、人として生きることの崇高さを明らかにしている」と評しました。

志村喬(82年76歳没)が演じる市役所の課長は、かつての情熱を忘れ、形式主義がはびこる職場でルーティンワークに埋没しています。そんな彼が自身の余命を知ったことから、見捨てられた荒廃地区の公園作りにまい進する物語です。

命のともしびを燃やし尽くすようにヤクザの妨害をはねのけ、頑として動かない上司をも説得します。

雪の夜、ようやく出来上がった公園のブランコに揺られながら課長は息を引き取ります。彼の情熱で、いっとき職場は活気を取り戻しますが、その死後、いつの間にか「お役所仕事」の毎日が始まります。

タイム誌は底流に流れる普遍のテーマを言い当てていると思います。

ノーベル賞作家のカズオ・イシグロ氏が脚本、南アフリカ出身の新鋭オリバー・ハーマナス監督がメガホンを取ったリメーク版は、舞台をロンドンに移していますが、時代を前作の公開時に合わせ、国は違っても変わらない人々の心情を描いています。主演は「ラブ・アクチュアリー」(03年)などで知られる名優ビル・ナイ。オリジナル版の志村に比べて背筋がピンとした感じです。抑えた演技から伝わる悲喜こもごもには重なるところが少なくありません。

黒澤監督にロングインタビューしたのは91年の4月でした。81歳。5年に1本のペースが隔年に早まった最後のエネルギッシュな時期でした。国際的な評価についてはこんな言葉が印象に残っています。

「僕の『羅生門』(50年)がベネチア映画祭で認められた時(最高賞・金獅子賞)、日本の映画界はコスチュームなどのエキゾチシズムが海外受けしたと誤解したんだね。だから、後から表面だけを繕った時代劇が続いた。もちろん、そういった作品の評価はさんざんだったよ。海外の心ある映画人は『羅生門』の中でね、人間の本心は、真意は分からないという普遍的なものに触れ、それを評価してくれていたんだよ」

形ではなく、評価の核心は底流にある万国共通の普遍性というわけです。

ポール・ニューマンが主演した「暴行」(マーティン・リット監督、64年)は、そのエッセンスを抜き出し、米南西部を舞台に「羅生門」をまったく違う「形」で描いた作品でした。

視点を変えながら同じ出来事を繰り返し描く「羅生門」手法は、アラン・レネ監督「去年マリエンバートで」(61年)クエンティン・タランティーノ監督「レザ・ボア・ドッグス」(92年)ブライアン・シンガー監督「ユージュアル・サスペクツ」(95年)など、多くの作家に踏襲されました。

倣うべきお手本として、黒澤作品は「古典」ともいえる存在になっているのです。実は監督のインタビュー中にも、何度も「古典」という言葉が出てきたことを思い出します。

「僕の作品では、なるべく若いスタッフに集まってもらうようにしているんだけど、彼らに言っているのは古典を読んでほしいということなんだ。シナリオ、映画の基礎だからね」

監督は多くの古典文学や古来の文献に通じていました。例えば「乱」(85年)は、シェークスピアの「リア王」と毛利元就の「三子教訓状」が元になっています。古典が伝えるものをたいせつにしながら、そこから魅力的なキャラクターを作り出すのが黒澤監督の真骨頂といえるでしょう。

「クロサワ映画は、僕の人生と作品にとてつもなく大きな影響を与えた」と公言するジョージ・ルーカス監督も黒澤監督の人物造形にほれ込んだ1人でした。「スター・ウォーズ」シリーズの人気キャラクター、R2-D2とC-3POは、「隠し砦の三悪人」で三船敏郎演じる主人公、六郎太に付きそった太平(千秋実)又七(藤原釜足)コンビをモデルにしています。

ルーカス監督にとどまらず世界の名だたる映画作家が「クロサワ映画」について多くのコメントを残していますが、監督自身は自らの作品について語るのが実は苦手でした。会見で「作品の意図」について質問が出ると、苦笑しながら「それは出来上がったシャシン(映画)を見てよ」と返すのが常でした。

「椿三十郎」(62年)の最後の決闘シーンはあまりにも有名ですが、脚本に書かれたのはこれだけです。

「これからの二人の決闘は、とても筆では書けない。長く恐ろしい間があって、勝負はギラっと刀が一ぺん光っただけできまる」

言葉で語り尽くせないから映画を撮る。映像でしか表現できないものがある。黒澤監督の信念でした。

セットにはクギの1本までこだわりました。

「『本物』の中に入れば、演じる側の心構えだって違ってくる。見る側にフレームの外側を感じさせることが重要なんだ」

「影武者」(80年)や「乱」では壮大な合戦シーンが話題になりました。監督は実際に映像に映った数倍の人馬を集め、それを望遠レンズで切り取るように撮影しました。観客はフレームの外側のボリュームを知らず知らずのうちに感じていたのです。

黒澤作品の普遍性はフレームからはみ出すような映像の力に支えられていたのです。

■リメーク映画、他にも

ユル・ブリナーやスティーブ・マックイーンなど、時のスターが集結した「荒野の七人」(ジョン・スタージェス監督、60年)が「七人の侍」(54年)を元にしていることは有名です。

この作品だけで、「宇宙の七人」(ジミー・T・ムラカミ監督、80年)「マグニフィセント・セブン」(アントワン・フークア監督、16年)など、時と場所を移してさまざまな形でリメークされています。「宇宙-」にはあのジェームズ・キャメロン監督が特撮スタッフとして加わっていました。

「用心棒」(61年)は、ウォルター・ヒル監督の「ラストマン・スタンディング」(96年)でギャング映画に生まれ変わりました。

アンドレイ・コンチャロフスキー監督の「暴走機関車」(ジョン・ボイト主演、85年)は、黒澤監督が書き、映画化がかなわなかった脚本を元にしています。大幅な変更もあり、黒澤監督は完成した映画が気に入らなかったようです。

日本に目を転じると、「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」(樋口真嗣監督、07年)「椿三十郎」(森田芳光監督、07年)などリメーク作品は決して多くありません。「自国の巨匠作品」のハードルは高いのかもしれません。

一方で、初監督作品、つまり新進時代の「姿三四郎」(43年)は、田中重雄、岡本喜八監督らによって何と5回も再映画化されています。後世に通じる題材選びの才能は33歳のデビュー時から確かなものがあったようです。

◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒澤明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。駆け出し記者だった80年、黒澤監督のカンヌ映画祭帰国会見取材後に成田空港のトイレに駆け込むと、何と隣に監督が。180センチを超える体の大きさと、怖いもの知らずの記者の補足質問に、その体勢のまま笑顔で答えてくれた心の大きさを実感した。