放送作家前田政二氏(58)が、23日に大阪・交野の「星の里いわふね」で決勝が行われる関西お笑い界の若手の賞レース「第3回北河内新人お笑いコンクール」で企画・プロデュース、審査員長を務める。また、15、16日には東京・渋谷ヨシモト∞ドームで、原作・脚本、演出の「吉本養成所物語2~俺たちの卒業公演~」が上演される。1982年(昭57)にダウンタウンらとNSCに1期生として入学。漫才コンビ、銀次・政二として売り出しながら1年8カ月で解散。フジテレビ系「オレたちひょうきん族」で「何人トリオ」のメンバーとして活躍しながら、96年には作家に転向した。故郷・交野への、そしてお笑いへの熱い思いを聞いてみた。
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コロナ禍の20年9月、昨年3月に開催。3回目にして、ようやく人数制限なしでの開催にこぎつけた。主催は生まれ故郷の交野市商業連合会、プロアマ問わず結成8年目までの漫才、コント、ピン芸、グループ芸が対象だ。
「お笑いの仕事をしてるなかで、故郷の交野でやってみようって思いました。芸人時代から、いつか地元で新人賞を立ち上げようって思っていました。主催する交野の商業連合会の会長さんが、僕の小学校時代からの幼なじみの1年年上の野球の先輩だったんです。紹介してもらって相談したら、予算がついたりして動き出しました」
ゲストは交野出身のプラス・マイナス、昨年暮れのM-1グランプリ準優勝のさや香、そして大御所のザ・ぼんちだ。
「プラス・マイナスは同じ交野の後輩ということもあって、1回目から出てもらっています。さや香はM-1で活躍する前からブッキングしていました。若手で人気急上昇中ですけど、彼らには正統派の漫才があっています。やっぱり、しゃべくり漫才が醍醐味(だいごみ)がありますから。ぼんちさんは漫才ブームのトップを走っていた、僕らの年代からすればレジェンドなのでお願いしました」
大阪の中心の難波、梅田からも電車を乗り継いで1時間ほどの交野。
「交野って、すごく自然が豊かなんです。山が近くて、自然があって、よく分からないんですが、東京で例えると八王子みたいな感じでしょうか。桜の名所で、平安時代には貴族が交野で花見をしてたらしいんです。新古今和歌集に交野の桜のことが出ているんです。花見をしながら歌を詠んでいた。なんか芸能的なことも楽しんでたんじゃないかと思って、交野は桜だけじゃなく、芸能的なこともやっているよという意味もあればいいなと」
82年に吉本の養成所、NSCに入所した。同期はダウンタウン、トミーズ、ハイヒールと、今も吉本をけん引している世代だ。
「あと新喜劇の内場勝則とジミーちゃん(ジミー大西)。ジミーちゃんは、僕らがNSCに入る3カ月前に芸人になりたいって言って、なんば花月で進行役になっていた。その3カ月後にNSCが始まったので、進行のバイトをしながら一期生で入ってきた異例の同期です(笑い)」
自身は高校を中退して、17歳で入所した。
「僕は結構、やんちゃなヤンキー(不良)だったんです。後に銀次・政二っていうヤンキー漫才を組むんですが、本物のヤンキーでした。そのヤンキーがNSCに入ろうと思ったのは(明石家)さんまさんと紳助・竜介さんの影響ですね。さんまさんは中学の時から毎日放送の『ヤングタウン』っていうラジオを聞いてました。中学の時は昼休みに放送部に行って『ちょっとしゃべらしてくれ』って、自分の給食持って行って食べながら、全校放送でさんまさんのものまねをしていたんですよ。学校でも有名でした(笑い)。そのあと漫才ブームが始まって紳助・竜介も出てきて、僕もヤンキーになってね。紳竜みたいなヤンキーでも、お笑いになれるんだと思いました」
NSCの1期生として出会った、ダウンタウンの松本人志(59)と浜田雅功(59)は暗いというか不気味だった。
「2人とも、誰ともしゃべらないんです。あのね、ダウンタウンの初めてのお友達は僕なんですよ。僕はヤンキーだったんですけど、野球部もやってたし、面白いものまねのできるヤンキー(笑い)。1期生に入ってから、すぐに、いろんなやつと友達になってたんですよ。でも、松本と浜田は、近寄らない。だけど『NSC寄席』みたいなので、ネタができるやつはちょっとやってみろというのがあったんです。そん時に僕は、ものまねの漫談を1人でしました。そしたら松本と浜田が出てきて、漫才を始めてめっちゃおもろかった。それまでは紳助・竜介が僕らの年代の笑い心をくすぐる存在だと思ってたんですけど、もっと僕らに近い世代のことを2人がやっていた。『分かる、分かる』みたいなことをお笑いネタにしていて、爆笑しましたね。なんや、こいつらと思って。大ウケだったんですけど、終わった瞬間に、また暗くなった(笑い)」
ダウンタウンと仲良くなるきっかけは、大阪城野外音楽堂のコンサートの準備だった。
「さんまさんと紳助さん、たけしさんがコンサートをするっていう時があったんです。NSCの担当だった大崎さん(大崎洋現吉本興業ホールディングス会長)に、朝の7時ぐらいから集合させられて、朝から会場の椅子とかを拭かされてたんです。僕は見た目が、めっちゃヤンキーでした。で、他のやつとは仲がいいけど、松本と浜田とはしゃべったことがない。その時、後ろから浜田が『ちゃんと拭いてんのか~ッ』って、ケツを思いっきり蹴り上げやがった。パッと振り向いたら浜田がおったんです。あのおもろい漫才の浜田が、自分の雑巾を持ってニターッと笑ってるんです。こいつ、頭おかしいんちゃうかと思いました。しゃべったこともないし、ヤンキーのケツを思いっきり蹴るなんてね。思わず『うん…拭いてる』って言ったら『そうか』って言うて、ニッターってしながら、僕のすぐ横の椅子を拭きだしたんです。それから仲良くなっていった。僕が浜田としゃべってんのを見て、松本もしゃべってきた。そっからです。それから何回か会った時に『あんな、自分ら、漫才せっかくおもろいのに暗すぎるねん』って。『俺、あだ名つけてやるわ』って、1期生の仲のいいやつらを集めて『今日から、こっちは松っちゃん、こっちは浜ちゃんて呼んでやって』って、みんなに言いました。浜田は、僕が実家を出て住んでたアパートに毎日のように泊まりに来ていました」
82年8月、松本・浜田は「今宮戎・新人漫才コンクール」で優勝した。
「僕はピンでやろうと思ってたんですけど、松本・浜田が優勝するのを見て漫才もええなと。そこでフジテレビの昼帯番組の『笑ってる場合ですよ』の『お笑い君こそスターだ』っていうコーナーに出るために、6歳年上の菅野銀次と銀次・政二を組むんです。一応、素人のネタの勝ち抜きコーナーということで、5週勝ち抜いてチャンピオンになりました。それで、僕ら銀次・政二はうめだ花月、ダウンタウンはなんば花月で、NSC在学中の10月に同時にプロデビューさせてもらいました。NSCに入学して7カ月目のことで、周りもびっくりしていました。その代わり、そんな事は今までになかった事なので、先輩芸人からの風当たりもすごかったです。僕らの初舞台なんて、初日が終わって、次の日の朝に楽屋に行ったら、一張羅のスーツがごみ箱に突っ込むように捨てられていましたからね(笑い)。でも、その犯人らしき同じ楽屋の先輩に『衣装、ごみ箱に捨てたヤツ、見つけ出してボコボコにしばいたろか』『そやな!しばきまくったろ』とか言ってやったら、いじめはなくなりました(笑い)。それで、さんまさんの番組とかにもエキストラで出させてもらうようなってね。だけど、相方とけんか別れして1年8カ月で解散。ピン芸人でやっていくことになりました」
(続く)
◆前田政二(まえだ・せいじ)1965年(昭40)2月23日、大阪府交野市生まれ。82年に吉本興業の養成所、NSCに1期生として入学。在学中の同年8月に漫才コンビ、銀次・政二を結成。同年10月にうめだ花月でプロデビュー。83年に「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」大賞。84年4月解散。その後はピン芸人として活動。ドラマ、ビデオ映画、リポーターとしても活躍していたが、96年(平8)に放送作家に転向。著書は12年にNSC1期生が売れていくまでの実話の「ノーブランド」、15年に明石家さんまとの出会いから公私にわたる付き合いの「深夜ラジオとひょうきん族と-ラブユー貧乏たちとおバカな事件簿-」を出版。
▼「吉本養成所物語2~オレたちの卒業公演~」(4月15、16日昼夜公演、東京・渋谷ヨシモト∞ドーム) NSC卒業3年以内の
演技派実力者から募っての公演。企画は前田氏と藤原寛吉本興業副社長。物語はNSC卒業を控えた、誰もが認める首席候補コンビの1人が、ある事件に巻き込まれる。卒業自体が危うくなり、果たして無事に首席で卒業出来るか。時代設定は1985年(昭60)頃、NSCが出来て3年目。1期生のエピソード、前田氏の実体験の「初舞台で先輩芸人から衣装をゴミ箱に突っ込まれてる事件」等も盛り込まれている。「華やかなお笑い界」の裏にある苦労や事件を描いている。「吉本養成所物語1」もあり、NSCを卒業したばかりの優等生で毎年公演を行っているが「吉本養成所物語2」は6年ぶりの開催。前回はチーモンチョウチュウ、3時のヒロイン、8・6秒バズーカ、チャンス大城らで開催された。