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OSK日本歌劇団がこのほど、「100周年誌」を刊行した。
今年110周年の宝塚歌劇団と並び、女性だけの歌劇団として昨年に創立100周年を迎えた。10月スタートのNHK連続テレビ小説「ブギウギ」は「東京ブギウギ」で知られる笠置シヅ子の一代記で、笠置が在団したOSKも舞台ともなり、若手スター翼和希も当時の男役スター役で出演する。OSKの歴史を振り返り、翼にも朝ドラ出演の意気込みを聞いた。【林尚之】
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OSKは1922年に「松竹楽劇部」として結成され、翌23年に大阪松竹座で旗揚げ公演を行った。当時は、1913年創立の宝塚少女歌劇団(後の宝塚歌劇団)をはじめ、少女たちによる歌やダンスのレビューを行う少女歌劇団が次々と誕生した。26年に日舞を中心としたショー「春のおどり」で人気に火が付き、大阪の春の風物詩ともなった。28年には東京公演を行い、これをきっかけに妹歌劇団となる東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団=SKD)が誕生した。
OSK、SKDの東西合同公演も盛んに行われたが、戦前、両歌劇団の合併構想が浮上したことがあった。同じ松竹傘下ではあったものの、劇団員、ファンの間ではライバル意識が強かった。さらに、合併とは名ばかりで、SKDがOSKを吸収合併するものだといううわさも流れて、結局、構想は実現することはなかった。
戦前、戦後を通じて、同じ関西圏にある宝塚歌劇団とはしのぎを削りあった。OSKはスピード感あるラインダンスや群舞に優れ、「歌の宝塚、ダンスのOSK」と人気を二分してきた。1950年代に全盛期を迎えたOSKは、3000人が収容できる拠点劇場「大阪劇場(大劇)」での公演が連日満員の盛況で、平日は3回、休日は4回も公演を行った。当時の生徒募集には、50人の定員に2000人が殺到するほどだった。
しかし、60年代に入って少女歌劇人気が低迷する中、大劇の閉館のため、奈良市のあやめ池遊園地にある円形大劇場に拠点を移し、71年には親会社が鉄道会社近鉄に変わった。その後も観客動員が振るわず、2002年、近鉄は支援打ち切りに伴うOSKの解散を発表した。全盛期には300人を数えた団員数も69人に激減していた。当時の団員たちは存続を求めて署名活動を大阪、京都、東京で行った。03年に解散公演が行われ、81年の歴史にいったんピリオドが打たれたが、「OSK存続の会」が発足し、自主公演を行った。ある時、紋付き、はかま姿で街頭に立つ彼女たちの前に、1台の車が通りかかった。車内にいたのは松竹の永山武臣会長(当時)。同乗者からOSK復活を訴える活動を行っていることを聞いた。永山会長が署名活動を目にしたことが、松竹によるOSK支援のきっかけになった。
04年、旗揚げ公演を行った大阪松竹座でレビュー「春のおどり」が上演された。実に57年ぶりの里帰り公演だった。その後、新会社のもとで再スタートし、京都南座、東京の新橋演舞場など松竹の劇場での公演も定例化した。10年に上海万博、14年にはキューバと海外公演も行った。OSKは息を吹き返し、今年で創立101周年を迎えた。
<翼和希「毎日が究極の武者修行でした」>
「ブギウギ」はOSKに在団し、戦後ブギの女王として一世を風靡(ふうび)した笠置シヅ子をモデルにしている。ドラマでは大阪の下町の銭湯の看板娘鈴子(趣里)が道頓堀に出来た梅丸少女歌劇団(USK)に入団。そこで出会う男役トップスター橘アオイ役で、2013年に入団したOSKの若手スター翼が出演する。
「OSKの公演はエネルギーにあふれていて、自分が出ていない公演を見る時も、観劇というよりスポーツ観戦に近いというか、思わず拳を握ってしまうような高揚感がある。華やかなだけではない強さや激しさがあって、ラインダンスやロマンチックなデュエットダンスにも、ぶつかり合って火花が散るような熱を感じていただけると思います」
「ブギウギ」にはオーディションを経て、出演した。
「毎日が究極の武者修行でした。歌劇の世界しか知らない私が、朝ドラという一流の現場に参加させていただいて、キャストの皆さんもスタッフの方々も、ただ向かい合うだけで圧倒されるようなオーラにあふれていました。無我夢中でしたが、ぜいたくで得難い経験をさせていただけたのかと思います」
ドラマでは、USK1期生の初代トップスターを演じる。
「1期生を演じさせていただくということは、まさに歴史の追体験でした。101周年目の舞台に立っている自分がタイムマシンに乗って、誕生の瞬間に立ち会ったような感覚です。一番感じたことは、いつの時代も私たちの技芸や、お客さまや仲間たちに対する純粋でいちずな情熱は変わらないのだと。悩みや葛藤を抱えた一人一人が、諦めずに情熱を持ち続けたからこそ、その魂が100年間積み重なって今があるということです」
8月25日から舞台「へぼ侍」(大阪・近鉄アート館)に主演する。大阪の商家に奉公する没落士族の主人公志方錬一郎が、家の再興を目指し、西南戦争の官軍兵士となる物語。
「生きるか死ぬかの戦の中で、持ち前の知恵で痛快に切り抜けていく楽しさや、動乱の世に志や思いを抱えてたくましく生きる人たちに触れて、どう変化していくのかをご覧いただけたらうれしいです」
OSKは昨年100周年を迎え、120周年、130周年に向かって歩み出している。
「絶対に絶やしてはならないと思います。素晴らしい歴史のバトンを持たせていただいている劇団員、初舞台生に至るまで、自分ができるすべてを注ぐことでしか、未来はつながっていかないと感じます」
<黒澤明監督「羅生門」の京マチ子さんも在籍>
OSKから数々のスターが登場した。中でも、有名なのが朝ドラ「ブギウギ」のモデルともなった歌手の笠置シヅ子、ベネチア映画祭でグランプリを獲得した黒澤明監督の映画「羅生門」に出演した女優の京マチ子だろう。
笠置は1927年に13歳で入団した。先輩のスターたちの大量退団でチャンスが巡ってきた。圧倒的な歌唱力とリズム感、そしてコミカルながらもかわいいキャラクターで人気を得た。33年には「恋のステップ」でレコードデビューを果たした。38年には男女混合の「松竹楽劇団」に参加し、戦後は服部良一作曲の「東京ブギウギ」が大ヒットし、「大阪ブギウギ」「買い物ブギ」と続いた。その後、女優に転身し、85年に70歳で亡くなった。
京は、1936年に12歳で入団した。娘役スターとして活躍し、華麗なダンスで注目された。戦後の48年に退団し、映画界に入った。「羅生門」以外にもベネチア映画祭で銀獅子賞の溝口健二監督「雨月物語」、カンヌ映画祭でグランプリの衣笠貞之助監督「地獄門」にも出演し、「グランプリ女優」とも呼ばれた。その後も舞台、ドラマで活躍し、19年に95歳で亡くなった。