吉本新喜劇の最古参メンバー、桑原和男(くわばら・かずお=本名・九原一三)さんが10日、老衰のため、神戸市内の病院で亡くなった。87歳。
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「今」を自分の目で見て時流を読みつつ、「昔」の恩は決して忘れることがない吉本新喜劇のレジェンドで、人としても、皆の「教科書」だった。
30年以上前、桑原さんは還暦前後だったと思うが、ご本人から「芸名やなく、本名で死にたい」と聞いた。当時、20代の記者にはその深い意味が分からず、重ねて聞けば「親からもらった名前、1人の私人として最後は人生を終えたい」と続けてくれた。
余力を残して勇退するということ? 違った。その真意には、漁師の家に生まれながら、家業を継がず、福岡から大阪へ出て芸人になったことへの、両親への「謝意」があった。
桑原さんは61年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」時代に入団。69年に座長に就き、72年に退いたが、89年の世代交代を経ても、後進育成に努めてきた。明石家さんまの師匠、笑福亭松之助さんや、平参平さんら、新喜劇草創期の先輩とも共演。岡八郎(当時)さん、花紀京さんらの黄金時代も知る。
しかし、その黄金時代も停滞する時期がきた。80年代後半、花月の寄席興行で新喜劇になると客席から客が引くようになっていた。多くの主力が退団する中、桑原さんは、池乃めだからとともに残り、今田耕司、東野幸治、130R(ほんこん、板尾創路)ら後輩とともに、新喜劇“再生”へ尽くした。
笑いへの感性も、育った時代も違う世代の後輩たちを、頭ごなしに否定することなく、新喜劇の精神継承に尽力。恩返しだった。大阪へ出て漫才師を志すも「人に合わせるのが苦手」で、挫折。新喜劇に出合い、芸人として大成した。
漫才師としては「夢路いとし・喜味こいし」に師事しており、後年まで「もう1度漫才をせんと、師匠に申し訳ない」との思いも持ち合わせていた。
芸人の道へ導いてくれた師匠への恩返しのひとつが、新喜劇俳優として、劇団を守り、後輩を大きく育てることだった。今田、東野らが東京進出する際には「神様~」ギャグで、成功を願って送り出している。
自身は、「ごめんください…ありがとう」の一人芝居、ひざまずいての「神様~」などギャグ多数。胸をさらけ出した「和子おばちゃん」を定着させ、芸人として一時代を築いた。今、すっちー、酒井藍、吉田裕、アキらが座長に就き「令和」の新喜劇まで導いた。
その生涯の原点、故郷、両親への思い、感謝が「最後は私人として人生を終えたい」だったのか。受けた恩は必ずかえす-。自身の流儀を貫いた“大先輩”だった。【元演芸担当・村上久美子】