全国区…欽ちゃんおかげ 佐藤B作、喜劇と人生語る「劇団東京ヴォードヴィルショー」創立50周年

インタビューで笑顔の佐藤B作(撮影・滝沢徹郎)

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佐藤B作(74)率いる「劇団東京ヴォードヴィルショー」が創立50周年を迎えた。記念公演「その場しのぎの男たち」は7月21日の初日1週間前に客演の伊東四朗(86)らがコロナで陽性となるアクシデントもあったが、1日も休演することなく、盛況のうちに終えた。9月末からは昨年の初演の演技で菊田一夫演劇賞を受賞した「サンシャイン・ボーイズ」の地方公演も始まる。佐藤に50周年の振り返りと、「サンシャイン」再演の思いを聞いた。【林尚之】

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外交官や商社マンを目指して早大商学部に入学した。しかし、中学、高校とガリ勉を通した反動で、授業もサボるようになった時に出会ったのが演劇だった。

「ある時、ドラマ『若者たち』を見て、自分も燃えるようなことをしないといけないと思ったんです。早大の学生劇団に入りました」

3年で大学を中退。いくつかの劇団を受けたが、すべて落ちてしまった。そのため、串田和美、吉田日出子がいた自由劇場にスタッフとして入った。

「最初は音響をやっていたんですが、途中で研究生に編入して、卒業公演では主役をやりました。誰にも負けないという気持ちでしたね」

自由劇場に2年半いて、24歳で「劇団東京ヴォードヴィルショー」を旗揚げした。笑いにこだわった舞台作りを目指した。

「漫才の横山やすし・西川きよしなど大阪の笑いが大好きで、そんな笑いのある劇ができないかと思ったんです。でも、コントをつないで芝居にしたんですが、始まってシーン、終わってシーンと、お客さんは全然笑ってくれなかったですね」

9年後、大きな転機を迎えた。若手の山口良一が、萩本欽一のバラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に抜てきされ、劇団の座長として、お礼のあいさつに萩本に会いに行った。

「萩本さんも劇団の座長というから、赤ら顔のハゲおやじがくると思ったら、野球帽にジーパン姿のシャイな若者だったんで驚いたようです。それをきっかけにTBSの『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラーで出るようになった。そのおかげで知名度も全国的になりました。それまで、田舎(福島)のおふくろからは『お前は大学を卒業して会社に就職したことになっているから。お正月でも近所が寝静まった時に帰って、翌朝には始発電車で東京に戻りなさい』って言われていたんです。それが一転して『サインを山ほど頼まれているから、早く帰ってこい』と。帰省したら、実家のある飯坂温泉駅前に黒山の人だかりができて、僕があいさつすると、ワーって大歓声が起こった。消防車をオープンカー代わりにカンカンって音を鳴らしながら街を一周しました」

オリジナルの喜劇を上演するようになって、観客も増えていった。その中、新しい作家を探していた時に、「三谷幸喜という面白い作家が出てきたよ」と聞いて、さっそく、三谷作・演出の舞台「ショウ・マスト・ゴー・オン」を見に行った。

「ぶっ飛びましたね。面白かった。暗転なしで、リアルタイムで話が進んでいく。だんだん状況が悲惨になっていくけど、笑いもどんどん増えていく。すぐに楽屋で『うちに書いてください』と頼みました。今回上演した『その場しのぎの男たち』は三谷さんがうちに書いてくれたもので、一番好きな芝居。創立30周年、40周年と節目に上演してきた、劇団の財産ですね」

08年5月に胃がんの手術を受け、胃の3分の2を切除した。

「健康診断で見つかったんですが、ちょうど、劇団の関西・中国地方の公演の最中で、あと1カ月も公演が残っていました。主治医は『芝居なんかやっている場合じゃない。明日手術しないと死ぬよ』とおっしゃるんです。でも、公演中止となれば多くの人に迷惑をかけるし、劇団の存続も危うくなるほどの死活問題なので、『無理です。あと1カ月は手術できません』と断ると、『君は死んでもいいのか』と怒鳴られました。僕も必死だから『死んでもいいです』と言い切っちゃった。結局、地方公演を終えてから8時間に及ぶ手術を受けましたが、その時は死を覚悟していました」

コロナ禍で劇団存続の危機を迎えた。1000万円を目標にクラウドファンディングを行った。

「第1目標だった1000万円を達成して、第2目標の1300万円も超えました。全国から集まって、応援してくださるファンがこんなに多くいらっしゃることがありがたかったし、励みにもなりました」

公演直前にも試練は続いた。初日1週間前に伊東をはじめ、4人がコロナで陽性となった。

「以前だったら、公演中止になったけれど、今は5日間の療養で復帰できた。稽古も5日休んで、本番を迎えたんですが、とんでもない初日でした。お客さんにはうけていたけれど、アクシデントへの笑いばかりでした。50年やってきてこんな経験は初めてでした」

2022年に加藤健一事務所公演「サンシャイン・ボーイズ」に出演した。ニール・サイモンの喜劇で、かつての人気ボードビリアンコンビだったウィル・クラーク、アル・ルイスは私生活では犬猿の仲だった。テレビ出演のため久々に再会するが、顔を合わすなり痛烈な嫌みや文句をぶつけ合う。ウィルを加藤、アルを佐藤が演じた。

「当初は20年に上演が予定されていて、せりふも覚えたのにコロナ禍で中止となった。翻訳劇はシェークスピアの『ヘンリー4世』が初めてで、2回目でした。三谷君が書いたせりふは8~9割は理解できるけれど、『サンシャイン・ボーイズ』はまだ6割ぐらいしか理解できていない。何なんだろう、このシーンはという未消化の部分がまだまだある。今回の再演で役を作り直したいし、探っていく中で、きっちり消化して納得していきたい」

アルの演技で菊田一夫演劇賞を受賞した。

「伝統ある賞ですよね、あまり海外の演劇をやっていないので、初めてのような役で賞をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです」

再演となる今回の稽古はすでに始まっている。9月24日の岡山・倉敷市を皮切りに、来年1月の東京公演(24~31日、本多劇場)を経て、来年2月まで全国を回る。

「半年先までは保証できないかな。涼しい時はウオーキングを1時間ぐらいしたけれど、今は朝、11階の自宅から1階まで歩いて降りて、新聞をとって、また上がってくることを日課にしています。年を取ってくると、健康が一番。足裏マッサージをして、おいしいお酒を飲んで、たっぷりと睡眠をとる。何もない時は9時間くらい寝ていますよ」

50周年を終えて、劇団の次回作への構想も練っている。

「喜劇にはこだわっていきたいし、楽しめる喜劇を作っていきたい。ドタバタではない、感動して泣けるような、大人の喜劇。今、考えているのは、『ごん狐』で知られる童話作家新美南吉を主人公にした作品。自己主張もせず、体も弱くて、若くして亡くなった。この人は何が楽しくて、何を喜びに生きてきたのか。そんな生涯を喜劇としてつくれないかと模索しています」

◆佐藤B作 1949年(昭24)2月13日、福島市生まれ。早大商学部を中退後、自由劇場を経て、73年に劇団東京ヴォードヴィルショーを結成した。86年、「吉ちゃんの黄色いカバン」の演技で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。2013年に「その場しのぎの男たち」と永井愛作「パパのデモクラシー」上演で劇団として紀伊国屋演劇賞団体賞を受賞した。妻は女優あめくみちこ。俳優の佐藤銀平は息子。