「ライオンキング」25周年「ホッとする老舗の味」ラフィキ役・青山弥生が語る魅力とロングラン

25周年ロングランを達成した「ライオンキング」(C)Disney(撮影・上原タカシ氏)

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劇団四季のディズニーミュージカル「ライオンキング」が20日、東京・有明四季劇場で日本上演25周年を迎えた。ディズニーミュージカル第2弾として1998年12月に東京で幕を開け、ロングランを続ける一方、大阪、福岡、名古屋、札幌でも上演を重ねた。のべ上演回数は1万3980回、観客動員も1370万人以上と、いずれも日本最多記録を今も更新している。25年の歴史を振り返るとともに、98年の初演からラフィキ役で断続的に出演する青山弥生に話を聞いた。【林尚之】

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劇団四季での上演が決まった直後、ニューヨーク・ブロードウェーに見に行った。

「雪が降る中、キャンセルチケットを買うため5時間並んで、やっと手に入れた3階席で見ました。英語は分からなくても、ストーリーは分かりやすいし、何よりも舞台の色彩豊かなビジュアル、エルトン・ジョン作曲の楽曲など五感に訴えかけるものがあって、圧倒されました」

帰国後、劇団内のオーディションで、ラフィキ役に決まった。ヒヒの呪術師で、狂言回し的な役割を担う役でもある。

「ブロードウェーでラフィキを演じた方は大柄で、ペットボトルで言うなら、彼女が2リットル、小柄な私は350ミリリットルという感じでした。出演が決まった時は夢のようだったけれど、稽古では大変でしたね。ラフィキはヒヒのおばあさんなので、老人の動きに見えるように重りを両腕両脚につけてやっていたし、衣装もビーズを付けたものなので6キロ以上もあったんです」

劇団四季専用の四季劇場「春」で、日本では初めての無期限ロングラン公演として始まった。

「正直、25年も続くとは思いもしませんでした。これまで多くの方に愛されてきたのも、舞台を初めて見る方でもびっくりする演出が最初からあって驚きの度合いが多く、日本人の心に響く楽曲がある。そしてハッピーエンドで終わることだと思います。ただ、観客動員で苦しい時期もありました。新作が上演されると、どうしてもそちらに観客が流れていく。でも、しばらくして『ライオンキング』を見ると、ホッとするというか、安心して見ていられる。老舗の味ってありますよね。いつもやっていて、そこに行くと安心できる。そんな作品でいたいと思っています」

主人公シンバの子ども時代を演じて、大きくなって、四季の舞台に戻ってくる人もいる。

「本当にうれしいですね。手をつないで舞台に立っていた子供が、今度は大人になったシンバやナラ役で出演している。いつか、そういう子役の中からラフィキを演じる人が出て来ることが楽しみです」

2012年にブロードウェーで開催された15周年記念公演に日本代表キャストとして出演した。日本語で「サークル・オブ・ライフ」を歌った。

「米国をはじめ、ドイツ、フランス、スペイン、ブラジル、そして日本と6カ国のラフィキがそろいました。光栄だったけれど、歴代のラフィキ役の代表という気持ちで、『恥ずかしくないようにやろう』という気持ちでした」

ラフィキを演じた時は40歳。四季に入団して20年近くが経過していた。

「それまでは小柄なので、役は限られていました。でも、ラフィキを演じた後は、『リトルマーメイド』で大タコの魔女アースラなど人間以外の役もやるようになり、役の幅が広がりました。怖いものがなくなった。いい時期にいい役に巡り合った。ラフィキは私のターニングポイントになりました」

<歴史振り返る>

「ライオンキング」は、1995年日本初演の「美女と野獣」に続くディズニーミュージカル第2弾として上演された。

アフリカの動物王国を舞台に、ライオンの王子シンバが数々の苦難を乗り越えて王として成長していく物語。アフリカの大草原を再現した舞台装置、日本の文楽やインドネシアの影絵などアジアの伝統芸能を取り入れた大胆な演出で、97年の米トニー賞で作品賞など主要6部門を受賞した。94年にディズニーが「美女と野獣」で演劇界に進出した時、ブロードウェー関係者から必ずしも歓迎されたものではなかったけれど、「ライオンキング」の大ヒットで、ディズニーミュージカルの存在は確固たるものとなった。

劇団四季にとっても、73年初演「ジーザス・クライスト=スーパースター」に始まり、82年「エビータ」、83年「キャッツ」、88年「オペラ座の怪人」などアンドリュー・ロイド=ウェバ-作曲の人気作品に続く、新たなパートナーともなり、03年「アイーダ」、13年「リトルマーメイド」、15年「アラジン」、16年「ノートルダムの鐘」、そして21年「アナと雪の女王」の上演につながった。

「ライオンキング」は98年12月20日、竹芝の四季劇場「春」のこけら落とし公演として上演された。それまで「キャッツ」専用のキャッツ・シアターなど仮設専用劇場はあったが、劇団四季にとって東京における初めての常設専用劇場だった。

初日には当時の皇太子殿下、雅子妃も臨席した。代表で演出家の浅利慶太氏は「無期限ロングラン」という目標を掲げていた。演劇界ではと半信半疑の声も多かったが、ロングラン25周年という前人未到の快挙を達成した。四季劇場「春」で17年5月までロングランが続いたが、竹芝地区再開発のため、同年7月には大井町の四季劇場「夏」に上演劇場を移した。同劇場では21年6月まで上演され、同年9月に新しく開場した有明四季劇場に移り、この日の25周年を迎えた。劇場が替わる時に2カ月ほどの休業期間があったが、その時期にも札幌、名古屋で上演されており、国内での「ライオンキング」上演は途絶えることはなかった。

さらに2006年には韓国ソウルで劇団四季による「ライオンキング」が上演された。韓国人キャスト、韓国語による上演で、1年間ロングランした。

25周年で観客動員は1370万人を超えた。単純計算で国民の10人に1人は見ていることになる。25周年を節目に「ライオンキング」の快進撃は続いていく。

◆青山弥生(あおやま・やよい) 宮崎県延岡市出身。1979年に劇団四季付属研究所に入所し、81年「嵐の中の子どもたち」で初舞台を踏む。「キャッツ」でシラバブ、ランペルティーザ、「コーラスライン」でコニー、「マンマ・ミーア」でロージー、「ユタと不思議な仲間たち」ではモンゼを演じている。