篠山紀信さん死去 「激写」流行語に…ヘアヌード、歌舞伎俳優、建築など常に「時代」と並走

19年1月、本紙インタビューに笑顔で答える篠山紀信さん

小学館と連名でリリースを出し、篠山さんの死を正式に発表した。

写真家篠山紀信(しのやま・きしん)さん(本名紀信=みちのぶ)が4日、老衰のため都内の病院で亡くなった。83歳。

死から一夜明けた5日、個人事務所「株式会社 篠山紀信」は、篠山さんの写真・映像ライブラリー「シノヤマネット」を運営する小学館と連名で正式発表した。葬儀は遺族の意向で近親者のみで行うことを発表。お別れの会については、現時点では未定とした。

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「株式会社 篠山紀信」は「写真家篠山紀信は、1月4日早朝、老衰のため永眠いたしました」と、死因や亡くなった状況を明かした。複数の関係者によると、篠山さんは持病を抱えており、元気だったものの昨年末の少し前あたりから不調だった。4日に容体が急変し、救急搬送先の都内の病院で亡くなったという。

小学館が「常に『時代』と並走し、作品を発表し続け」と評したように、75年に同社の雑誌「GORO」で山口百恵さんを撮影して始まった「激写」は、松田聖子、中森明菜ら人気絶頂の女性芸能人から、無名モデルまで被写体にしたことで話題を呼び、流行語となった。「週刊朝日」で80年に始まった女子大生表紙シリーズでは宮崎美子、河野景子、高田万由子、膳場貴子ら、現在芸能界や報道の世界で活躍している才能の、若き日の輝きを捉えた。

91年3月に樋口可南子の「water fruit」で日本の写真集の歴史で初めてヘアヌードを解禁すると、同9月に本木雅弘のヘアヌード「white room」、同11月には一糸まとわぬ宮沢りえを捉えた「Santa Fe」を相次いで発表。センセーショナルな展開で日本社会を席巻したが、表現者として追求したエロスが芸術として認知された結果だった。

一方で、70年に始めた坂東玉三郎をはじめとした歌舞伎俳優の撮影も、もう1つのライフワークとなった。世界の名建築を紹介する「建築行脚」シリーズなど多彩なジャンル、視点から、昭和から令和に至る日本を60年以上、撮り続けた。

◆篠山紀信(しのやま・きしん)1940年(昭15)12月3日、東京都生まれ。都内の真言宗豊山派円照寺の住職・篠山明信さんの次男。59年に入学した日大芸術学部写真学科在学中の61年に広告制作会社に入社し第1回APA賞受賞。68年からフリー。70年に日本写真協会年度賞、72年に芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。76年には、イタリアの国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」日本館の代表作家に。80年にジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ダブル・ファンタジー」のジャケットを撮影。妻は元歌手の南沙織さん。次男はタレント篠山輝信。