電撃ネットワーク南部虎弾(なんぶ・とらた、本名佐藤道彦=さとう・みちひこ)さんが、20日午後11時55分、脳卒中のため亡くなった。72歳だった。21日、グループの公式X(旧ツイッター)で発表された。
南部さんは、今月16日に、親交があったエスパー伊東さんの訃報が報じられた際、本紙の取材に「ずっと会えてなかったけど、今日、面倒を見ていた(お笑い芸人の)ビトタケシから電話連絡があって、亡くなったの知りました。残念です」と応じていたばかりだった。
南部さんは17日にエスパー伊東さんが亡くなったことについて「エスパー伊東の死に納得行かない。南部虎弾」という約2分半弱の動画をYouTubeチャンネルにアップしていた。
南部さん帽子のサングラスを装着して動画内で「エスパー伊藤が死んだという話を聞いて一夜経ちました」と切り出し「自分はですね、多分葬儀があったとしても行きません。悔しくてしょうがないです。エスパーが俺に会いたいて言ってるのに、当の本人が言ってるのに。俺も会いたいし、そういう風にしてお互いに、これ会わなきゃいけないなと思ってたんだけど会わしてくれなかったっていうのは、いやどうしても気になって。しょうがなくて」と語った。
さらに「まあ、エスパーとはもう30年の付き合いで、いろんなことありまして。もうあんなにバカであんなにかわいいやつってのは本当にいなかったと思います」と続けた。
そして「まあ、最後にエスパーの声を聞いたのが2年前の5月19日、知り合いの方がいないとビト(たけし)君が看護師さんと会話をさせてくれなかったんで、その時の会話の中でエスパーはまだちゃんとしゃべれました。ちゃんとというか、うっすらとしゃべれました。それがまあ、いきなり死んでしまうっていうことが、まだ全く飲み込めてません。その間になんで合わせてくれなかったのかなっていうのが、残念でしょうがないです」と話した。
最後に「エスパー、ずっと長い間付き合ってくれて、ありがとうございました。細かいことは、また他の映像でちゃんとお見せすると思いますんで、よろしくお願いいたします」と締めくくった。
南部さんは1951年(昭26)5月14日、山形・鶴岡市出身。デビュー当初のダチョウ倶楽部のリーダーを務めていたが、方向性の違いにより脱退。90年に電撃ネットワークを結成した。過激な体を張った芸で人気を集め、海外では「トーキョー・ショック・ボーイズ(Tokyo Shock Boys)」の名で知られるなど、国内外で活躍した。
最近では、12年ごろに糖尿病と診断され、その後、糖尿病による骨髄炎、17年には急性冠症候群による心不全で緊急入院し、8時間もの心臓のバイパス手術を受けた。その際に人工透析を勧められたが、芸能活動を優先して拒否し続けてきたことで数値が悪化し、専門医に相談すると「腎臓移植しかない。一刻も早く、提供者を見つけ出して手術した方がいい」と告げられ、19年に妻がドナーとなった生体腎臓移植手術を行っていた。所蔵事務所のプロフィルでは「生前葬は、もう済ましてます」と記していた。
▼エスパー伊東の死に納得行かない。南部虎弾 動画内全コメント
エスパー伊藤が死んだという話を聞いて一夜経ちました。自分はですね、多分葬儀があったとしても行きません。悔しくてしょうがないです。エスパーが俺に会いたいて言ってるのに、当の本人が言ってるのに。俺も会いたいし、そういう風にしてお互いに、これ会わなきゃいけないなと思ってたんだけど会わしてくれなかったっていうのは、いやどうしても気になって。しょうがなくて。
まあ、エスパーとはもう30年の付き合いで、いろんなことありまして。もうあんなにバカであんなにかわいいやつってのは本当にいなかったと思います。
まあ、最後にエスパーの声を聞いたのが2年前の5月19日、知り合いの方がいないとビト(たけし)君が看護師さんと会話をさせてくれなかったんで、その時の会話の中でエスパーはまだちゃんとしゃべれました。ちゃんとというか、うっすらとしゃべれました。それがまあ、いきなり死んでしまうっていうことが、まだ全く飲み込めてません。その間になんで合わせてくれなかったのかなっていうのが、残念でしょうがないです。
エスパー、ずっと長い間付き合ってくれて、ありがとうございました。細かいことは、また他の映像でちゃんとお見せすると思いますんで、よろしくお願いいたします。