過激なパフォーマンスで人気を集めた、電撃ネットワークのリーダー南部虎弾(なんぶ・とらた、本名佐藤道彦=さとう・みちひこ)さんが、20日午後11時55分、脳卒中のため亡くなった。72歳だった。山形県出身。21日、グループの公式X(旧ツイッター)で発表された。今月17日公開の動画にも登場するなど、精力的に活動を続けていた矢先だった。通夜、葬儀は近親者のみで行い、後日にお別れの会を予定している。
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亡くなる3日前の動画で、エスパー伊東さんの訃報への思いを熱弁していた南部さんが、後を追うように急死した。所属事務所は「ファンの皆さまを大事にしてきた南部虎弾に代わり、思いをお伝えいたします。長い間、応援ありがとうございました」とコメントを発表した。
山形県鶴岡市出身。第一生命の営業マンをへて、俳優を夢見て劇団テアトル・エコーに参加。劇団の先輩だったコント赤信号の渡辺正行(67)に、劇団の後輩の故上島竜兵さん(22年死去)と寺門ジモン(61)を紹介された。これにピンで活動していた肥後克広(60)が加わって大人数のお笑いグループ、キムチ倶楽部を結成。85年に4人となり、ダチョウ倶楽部に改名した。87年にはフジテレビの若手芸人の登竜門「ひょうきん予備校」にダウンタウンと出演し注目を集めた。
南部さんはリーダーだったが、夜中に上島さんに突然電話をかけて「お前、金魚を飲み込めるか」と聞くなどその過激さから、追放同然となり87年に脱退。肥後をリーダーにして、3人で活動していくことになる。南部さんは後年「ある日、テレビを見ていたら自分以外の3人が出演していてクビになったのを知った」と回想したが、3人とは仲良く共演している。
南部さんは自らの芸風を追求して、90年(平2)に電撃ネットワークを結成。本物のサソリを口に入れるギュウゾウ(59)やドライアイスを食べるダンナ小柳(56)ら個性派集団を率いた。過激すぎる芸風は、国内での活動範囲を狭めることもあったが、言葉が通じなくても分かるパフォーマンスで海外でもウケた。「TOKYO SHOCK BOYS」としてアメリカ、カナダ、オーストラリア、英国、デンマーク、オランダ、ドイツ、スペインで公演を開催し、日本では数少ない欧米で活躍した芸能人となった。トランスを中心とした音楽ユニットとしても「フジロックフェスティバル」などに出演した。
12年に糖尿病と診断されて骨髄炎、17年には急性冠症候群による心不全で緊急入院して8時間に及ぶ心臓バイパス手術を受けた。芸能活動を優先して人工透析を拒否していたが、病状が悪化して19年(令元)に妻がドナーとなった生体腎臓移植手術を行っていた。
近年はテレビの露出は減ったが、YouTubeチャンネルでは過激芸の回想動画などを披露。型破りで、好きなように生きた芸人人生だった。
◆南部虎弾(なんぶ・とらた)1951年(昭26)7月14日、山形県鶴岡市出身。高崎経済大を中退して第一生命営業マンなどを経て渡仏。帰国して劇団テアトル・エコーに参加。黒澤明監督の映画「影武者」(80年)に兵隊役で出演。90年に電撃ネットワークを結成。芸名の名付け親は故市原悦子さん。一般社団法人「腎臓移植をすすめるネットワーク」代表理事も務める。メンバーでは15年の三五十五さん(52歳没)に続く訃報。168センチ。血液型RhマイナスO。