全盲の歌手 佐藤ひらり、夢は「日本のスティービー」障がい抜きで感動してもらえたら

笑顔で写真に納まるシンガー・ソングライターの佐藤ひらり。これからも素敵な歌声を届ける活動に期待です(撮影・河田真司)

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生まれつき全盲のシンガー・ソングライター佐藤ひらり(22)が3月に大学を卒業し、音楽1本で活動を始めた。

21年8月の「東京2020パラリンピック」開会式で「君が代」を独唱。世界の隅々にまで美声を届けてからもうすぐ3年になる。スティービー・ワンダー(73)との共演が夢だと語る歌姫のモットーは「恩返し」。胸に秘める思いと強い決意を聞いた。【松本久】

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透明感のある伸びやかな歌声で4オクターブの音程を自在に操り、絶対音感を武器に心地よいメロディーとメッセージを届ける。そんな佐藤が3月に武蔵野音大を卒業した。

「これからは、より多くの人に歌に込めたメッセージを届けたいし、いろいろな人に笑顔になってもらえるようなことをしていきたい」と音楽活動に専念する心境を明かした。

音楽に目覚めたのは5歳の時。保育園の電子ピアノの自動演奏で流れてきた美空ひばりの「川の流れのように」の旋律に心を奪われた。

「メロディーだけだったのに、吸い込まれるようにとりこになりました。それからは、母や先生がひばりさんの歌をたくさん聞かせてくれて歌うようになりました。母が老人ホームの慰問に連れて行ってくれて、多くのおじいちゃん、おばあちゃんが『上手だったよ、また来てね』と言ってくれた。そして『ありがとう。感動したよ』と。それまでは『ごめんなさい』を言う側だった自分が『ありがとう』と言ってもらえた。5歳ながら本当にうれしくて、いただいた言葉に音楽で『恩返し』をしたいなと思いました。それが今もずっと続いています」。

■歌での恩返し

歌が大好きな少女の「歌での恩返し」の旅が始まる。9歳の時には、身体障がい者の音楽支援コンサート「ゴールドコンサート」に出場。「アメイジング・グレイス」を日本語と英語を交えて歌唱し、歌唱・演奏賞と観客賞を最年少でダブル受賞した。翌年に東日本大震災が発生すると、初めて作詞作曲した「みらい」を自費制作した。

「想像もつかないくらい大変な状況がテレビやラジオから聞こえてきた。まだ小さくて目も見えない私でも、何かできることがないかなと思っていたら『復興支援の歌』がテレビなどでたくさん聞こえてきて、歌を作りました。周りに見えている状況じゃなくて、心の目を開いたら明るい未来が待っているはず。そんな思いを込めた曲です」。CDの売り上げ100万円をあしなが育英会を通じて震災遺児に寄付した。

当時住んでいた新潟県内に避難所があり、そこでも歌った。

「自分は歌うのが楽しくて歌っているだけなのに『こんなにすてきな歌を初めて聞いた』と言ってもらえて、何度も拍手をいただいた。この思いに応えるためにも、もっと頑張らないといけないと決意したんです」。これまでの人生で最も良かったことは何かと聞くとこの時の感激をあげた。「ずっと忘れられない大切な思い出です」。

活躍の場は海外にも及んでいる。

■活躍は海外も

12歳で米ニューヨークのアポロシアターで行われた音楽イベント「アマチュア・ナイト」に出演して「ウイークリーチャンピオン」を獲得。ネパールやイタリアでもコンサートに参加している。

13年9月にIOC総会で「2020年東京五輪・パラリンピック」開催が決まり、この時に大きな目標ができた。「ここで絶対に歌いたい!」。実現への具体的な道筋も頼る人もない中で、どこに行っても「東京パラリンピックで歌うことが夢です」と言い続けた。そして、約8年後にオーディションで合格をもぎ取る。まさに“一念岩をも通す”だ。

「最初は私の夢だったのに、多くの人が『頑張って』と言ってくれて、やがてみんなの夢になったのがうれしかった。それこそ、応援してくれる人への『恩返し』。感謝の気持ちを伝えたいという思いで君が代を歌いました」。

現在の夢はスティービー・ワンダーとの共演、そして「日本のスティービー」と呼ばれることだ。

「私は小さい時からずっと『全盲の-』と紹介されることが多かったのですが、彼の曲を『この人は目が見えない』と福祉みたいな目線で聞く人はいないじゃないですか。私もいつかは『目が見えない』という看板を下ろして、障がいを抜きに感動してもらえるようになることが目標。そして、見えないことで私のことを知ってくれた人に恩返しをしたいです」。

何度も繰り返す「恩返し」。そしてその先への思いを続けた。「子どもから大人まで口ずさんでもらえる歌を作って、音楽で多くの人に笑顔になってもらいたい」。

まだ22歳ながら人前で歌うキャリアはすでに17年。「『ありがとう』と『恩返し』という言葉を忘れずに、これからも心の目を閉じることなく生きていきたい」。歌声だけでなく、生きる姿勢でも多くの人を勇気づける佐藤の恩返しの旅は続く。

◆佐藤(さとう)ひらり(本名・佐藤英里)2001年(平13)5月28日、新潟県三条市生まれ。24年3月に武蔵野音大卒。11年に自費制作CD「みらい」を発表し、売り上げ100万円を東日本大震災の遺児に寄付した。14年にミニアルバム「なないろの夢」でデビュー。21年に三条市で初の「市民栄誉賞」。22年に新潟県の「観光特使」に就任。148センチ、血液型A。