浅丘ルリ子が明かす映画全盛期の熱い秘話 トーク&シネマが5月開催

映画全盛期を語る浅丘ルリ子(2024年3月撮影)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

女優・浅丘ルリ子(83)の代表作「銀座の恋の物語」(62年)など4本の上映会が5月に行われる。併せてトークショーを行う浅丘に先日、話を聞く機会があった。

上映されるのは他に「憎いあンちくしょう」「夜明けの歌」「愛の渇き」など60年代のヒット作ばかりで、浅丘の話からは映画全盛期の「熱気」が伝わって来た。

「皆さん忙しかった時代ですけど、私の場合は裕ちゃん(石原裕次郎)、(小林)旭さん、(高橋)英樹、渡(哲也)クン…お相手を務める俳優さんが多かったですからねえ。自分の時間がまったくなくて、朝起きたらすぐ撮影所。台本を4つくらい抱えて…どれがどれだかさっぱり分からない。映画館にはお客さまがどんどん詰め掛けるので、すぐに新しい作品をかけなければいけなかったんですね。それでも、若くて体力もあったし、みんな楽しんでいた。撮影所のみんなは仲間でしたね」

「忙しいのに撮影が終わると(日活撮影所があった)調布から銀座に出掛けて、みんなで夜中の2時、3時まで飲むんです。私は先に帰りましたけど、いつも朝遅れてくるのは石原裕次郎と小林旭です(笑い)。3、4日は我慢しましたけど、それが5日目になると、もう堪忍袋の緒がキレて『いいかげんにしてよ! 開始時間は決まっているんだから』って。そんなことも何回かありましたね。ま、いい時代でしたね」

今回の4本はくしくも蔵原惟繕監督のメガホンだ。

「当時は男優さん主演の作品が多くて、私は相手役の立ち位置が多かったのですが、蔵原さんは『夜明けの歌』や『愛の渇き』という女優主演の作品を撮ってくださいました。蔵原さんも私も女優主演の洋画をよく観ていて、例えば、アップでもここではあまり芝居しない方がいい。さりげない目の動きだけ表現していたあんなシーンもあったな、とか、あうんの呼吸が通じたんですね。だから、蔵原さんの作品では、私は割と自然なままで、芝居芝居した演技はしていないんですね」

デビュー作は55年の「緑はるかに」(井上梅次監督)。14歳だった。

「原作の新聞連載を読んでいたんですね。で、そこに女優募集の告知があって、周りの勧めで応募したんです。オーディション会場は皆さん何かの縁故があって着飾った方ばかり。何のつながりもなく、友人に借りたセーラー服の私は逆に目立ったんですね。最終の6人に残った時、(連載で挿絵を描いていた)中原(淳一)先生が私のところにいらして、その場で髪を切られたんです。ビックリしましたけど、それが新聞連載のままの『ルリ子カット』。先生が『この子でなければダメ』とおっしゃったのが決め手になったんですよ」

以降159本に及ぶ映画出演のスタートだ。密度の濃い全盛期ならではのエピソードも明かした。

「『銀座の恋の物語』では運転するシーンがあったんですけど、私は免許を持っていなかった。スケージュールも混んでいるのにどうするの! って。慌てて教習所行って4日間くらいで取ったのかなあ(笑い)。免許取り立ての上にスポーツカーですから、どれがアクセルやら分からないまま。まずは後ろからガソリンスタンドにぶつけて、次はカメラマンのところにガーンと。カメラマンの目の所がアザになっちゃいまして…。そんなこんなですけど、何とか完成したんですね。上映会があるので改めて観てみたんですけど、今観てもホントにいい映画ですよ(笑い)」

本人は「セリフのないトークショーはホントに苦手で、前日はきっと眠れない」と話すが、事前に聞いただけでも、どのエピソードにも映画全盛期の活力が感じられて興味深かった。

「浅丘ルリ子 トーク&シネマ」は5月13、14日、東京・有楽町I’M A SHOWで。【相原斎】