<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
フジテレビとフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の経営体制の刷新が、3月27日に発表された。
日枝久取締役相談役(87)の、フジサンケイグループ代表と合わせての退任が発表された。
1990年(平2)に正式にフジテレビ担当になった時には、既に日枝社長(当時)体制で、フジテレビは視聴率3冠王を爆走していた。時はトレンディードラマ全盛時代、大多亮関西テレビ社長(66)や亀山千広BSフジ社長(68)がヒットドラマを連発。港浩一前社長(72)が演出、プロデューサーを務めていた「とんねるずのみなさんのおかげです」は、バラエティー番組年間視聴率1位を続けていた。
当時の定例会見は正午から、弁当を食べながら行われた。コマネズミの様にこき使われたスポーツ紙の若手記者としては、時間の節約にもなってありがたかったが、一般紙のお偉い記者が「昼飯を提供してもらうのは癒着につながる」と主張して、午後の時間帯に行うようになった。
1度、日枝社長の会見に大遅刻したことがある。1995年(平7)の中頃だ。朝5時まで酒を飲んで自由が丘まで流れ、タクシーで埼玉県草加市の自宅まで帰ろうとした。まだバブルの余韻が残っている時代で「もう車庫に帰るから」と拒否されてしまった。しかたがないので、恵比寿まで行ってもらって「北越谷行き」の東武線直通の日比谷線に乗った。
気が付いたら午前10時。群馬県の太田駅にいた。その日は正午から、新宿の京王プラザホテル47階でフジテレビ日枝社長の定例会見。会見場にたどりついたのは、30分以上時間が過ぎてからだった。テーブルが「口」の字形に配置され、フジテレビのお偉いさんが並んだ向かいに、進行役の幹事社の記者。他の記者が、その横からズラリと並び、さらに両翼に連なっていた。
会見場のドアを開けると一瞬、フジテレビのお偉いさんの視線を感じたが無言のまま、席を探した。いつもだったらヘラヘラ笑ってごまかすのだが、疲れ切っていたので無言でズンズン入っていった。何しろフジテレビは勢いがあって、日枝社長も大人気で満席状態。結局、ズラリと並んだフジテレビのお偉方の一番端っこに並んだ。
会見が終わると、日枝社長が話しかけてきた。「なんだ、○○○ちゃんか。知らない人が無言でグイグイ入ってきたから、刺されるかと思ったよ」と笑われた。普段はコンタクトレンズを使っているのだが、メガネ姿で無表情だったので“テロリスト”と思われたのだろう。
それから時は流れ、2008年(平20)7月の、半年に1度のフジテレビのパーティー。フジテレビは、新宿の曙橋からお台場に移転していた。お台場は96年に予定されていた都市博を青島都知事が中止した影響で、空き地がそこら中にあった。「お台場は飯を食うにも苦労する。外に出ると吉野家かマクドナルドしか選択肢がありません」と冗談交じりに日枝氏に訴えた。当時会長の日枝氏は笑っていたが、後でフジテレビの関係者から「一番言っちゃいけないこと言いましたね。日枝さんは、まだ青島さんのことを許してませんよ」と注意された。
そして16年の7月13日。この日も、フジテレビのパーティーだった。主役は亀山千広社長(当時)だったのだが、途中から日枝会長が登場して人が集まった。しばらくして、ばらけたので日枝会長にスマホを見せながら「今朝、Huluでスマホの画面で吉高由里子主演『蛇にピアス』を見ちゃいました。案外、見られるもんですね」などと話していたのだが、フジテレビ関係者は肝を冷やしていたという。
パーティーの最中に、NHKが現在の上皇さまの「退位」の意向をスクープした。まさかお調子者のスポーツ紙記者が“日枝天皇”に退位を勧めているのか、と思ったという。もちろん、そんなことはしなかった。そもそもNHKのスクープを知らなかったのだから。
そして日枝氏は、17年6月に代表取締役会長を退任して、取締役相談役に就任するとマスコミの前にはめったに姿を現さなくなった。記者は、日枝氏がフジサンケイグループ代表として出席する「世界文化賞」などの会見に取材に出かけては“サツアイ”業務をこなし、フジテレビ次期社長候補の話題を聞くようになった。1度、内幸町の日本プレスセンターの会見に出向いて、1階からエレベーターに乗ろうとしたら、地下の駐車場から上がってきた日枝氏とバッタリ。「おお、久しぶり、どうしたの」と聞かれ「何を言ってるんですか、日枝さんに会いに来たんじゃないですか。もう、これで目的は果たしたから業務終了、帰りますよ」と笑って答えたこともあった。
わが世の春を謳歌(おうか)したフジテレビも、近年は視聴率低下に悩んだ。日枝相談役は「こんな状態のままでは終われない」と退任のタイミングを逃したんだろうと思う。今回の騒動にも直接は関わっていなかったというだけに、退任にはじくじたるものがあるだろう。
つい最近も同業他社の放送担当のエース記者と話していて「日枝さんと会ったことがない」と聞いてびっくりした。気が付けば会長を退いて、8年がたっていた。そして「どんな感じで話しているんですか」と聞かれて「ちゃん付け」で呼ばれていることで驚かれた。昔は芸能界、テレビ業界では同輩以下をちゃん付けで呼ぶのはごく普通だった。たしか日枝氏は、スポーツ紙の男性記者は、ほとんどちゃん付けだったはずだ。
とりあえずは「お疲れさまでした」と言いたい。そして「お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を言いたい。30年以上も出たり入ったりを繰り返しながら、ずっと拝命してきた“日枝番記者”の役目も、もうすぐ終わりだ。【小谷野俊哉】