<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
山田邦子(65)が8月20日から、東京・博品館劇場で開催の主演舞台「Room NO.925 第1回公演『ジャニス』」に挑む。芸歴45年で、今年6月に65歳の誕生日を迎えた。先日行われた同舞台の取材会では、45周年を迎える思いを赤裸々に語っていた。
「64歳までは何の変わりもなかったのに、急によぼよぼなの」と嘆くが、とにかくパワフルでサービス精神旺盛だ。話す度に会場の笑いを誘い、取材会の終了時間が迫っても報道陣から質問が途切れない。「宣伝していただける、応援していただけるマスコミの皆さん、私の宝物と思っていますのでうれしいです」と明るい笑顔で対応を続ける。
本格舞台への出演は久々だといい、開催期間は真夏。同舞台のためにダイエットや運動に励み、役作りのためにメキシコやサンフランシスコまで行ったというが「何の参考にもなりませんね。ただ遊んじゃっただけ」とにやり。スイカの生産を手がけていることもあり「朝は多分畑に行ってからここの舞台に来ると思います」と元気いっぱいだ。
山田は80年に芸能界デビュー。“元祖女ピン芸人”としてフジテレビ系「オレたちひょうきん族」などでブレークし、NHKの好きなタレント調査で88年から8年連続1位(女性)を獲得した。07年には乳がんを患い、その体験からがん啓発チャリティー団体「スター混声合唱団」を設立。24年には「日本喜劇人協会」第11代会長にも就任した。
デビュー時を振り返り「出だしは命削るようにやってた」と語った。当時の主演映画を先日見たというが「映画をやったことは覚えていましたが、どのシーンも覚えていなかった」と苦笑い。「でもよーく見ていたら、その時の20代の私は一生懸命やっていました。下手くそでした。でもね、あの勢いや若さっていうのは輝かしいものがあった」と目を細めた。
日々さまざまな番組に出演し、弁を振るっている。仕事のポリシーとして「断らない。だいたいスケジュールがいけるかいけないかが基本」と断言。山田と舞台で共演経験がある水谷あつし(59)は「名古屋で1カ月間(公演を)やっていたときに、邦子さんは東京で朝の生のラジオを持っていらっしゃるんですが、毎朝東京ローカルの生放送を名古屋の楽屋からやってた」と回想した。
さらに「お芝居を見に来てくれたとき、とても忙しいから一本作品は観られないということで、一幕を見て翌日に二幕を観てくれたことがある」と明かし、周囲を驚かせた。
山田は「もうしょうがないときはね、結構そうしてるの。できれば続けて見たいんだけど」とした。ラジオについても「周りに迷惑かけましたけど、いろいろ工夫すればできないことはないのよ。楽しいと思うことを取っていくと、ちょっと重なっちゃうときがあるんで、断らない。全部重ねていく」とうなずいた。
デビューからの45年間はあっという間だったという。「ピン芸でデビューしたので友だちがいなかった。とんがってました」としつつ、「今振り返れば人に支えられた、助けられたとつくづく感じます。病気も経験して、ひとりぼっちでは何もできないと。友だちがいっぱいできまして、40過ぎてから。今幸せです」としみじみ。「時間がある限り友だちとも過ごすし、仕事もするし。人に感謝ですね。若いときと変わって学んだことです」とした。
最後に50周年への意気込みを聞かれると「考えてないけど、いけたらまだ面白いことをやってる自分でいたいです」とにっこり。パワフルに笑いを届ける山田の姿を、これからも追い続けていきたい。【玉利朱音】
◆「Room NO.925(ルームナンバークニコ)」 00年から03年に上演された「夢シリーズ」の座長を務めた山田と演劇プロデューサー難波利幸氏が22年ぶりにタッグを組み、面白い芝居を作ろうと立ち上げた企画。第1回公演「ジャニス」では、90年代に活躍し解散したガールズバンド「ガーネット」の元メンバーらが繰り広げる人間模様を描く。山田は「ガーネット」のメンバーで解散後行方知れずだったジャニス役を務める。