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ギタリスト高中正義(72)が海外で大人気だ。日本の70~80年代シティポップが世界的ブームとなる中、“歌わないシティポップ”のフュージョン音楽も注目を集め、今年3月に行った米ロサンゼルス公演は地元ファン約5000人で大盛況となった。50年前にはかなわなかった海外進出の夢が70代で実現。「人生フェードアウトかと思ったら、フェードインしてる」と激アツだ。【梅田恵子】
★ロス公演熱気にウルッ
今年3月、ロスのウィルターン・シアターで行われた2days公演は、オープニングから総立ちの熱気で話題を呼んだ。心地いい南の島にいるような、自然と踊りたくなる“高中サウンド”で会場がひとつに。「うれしかったですね。ステージではみんなウルウルしながらやってた。帰国後に家で1人で編集して、こんなにすごい拍手と歓声だったんだと実感してまたウルウルして(笑い)」。
海外人気の中心となっているのは、動画サービスや音楽ストリーミングサービスで好みの音楽にアクセスしていく若者世代だ。79年のベストアルバム「All Of Me」の再生回数は500万回を超え、コメント欄は英語が並ぶ。「ソロ初アルバム『セイシェルズ』(76年)を作ったのが23歳の時。23歳の僕が『届け、届け』って一生懸命作った音楽が、今の23歳くらいに届いているんだね。50年たっちゃったけど、それもすごくいいじゃんって」。
★時間が証した曲の力
海外志向は「セイシェルズ」をリリースした当時からあった。4年間所属した「サディスティック・ミカ・バンド」時代に英ロンドン公演も体験し、自信はあった。しかし、レコード会社社長に「アメリカでも出したい」と伝えたところ、現地関係者から「アメリカでは少し弱い」と評価され、実現しなかった。
「ヘビメタを期待されていたのかな(笑い)。でも、僕が好きなのは、心地よい南の島の音楽だから。ラテンのパーカッションを使った音楽とか」。以来50年「自分にしかできない“歌えるようなギター”を自分なりに作ってきた」。力のあるエンタメはネット経由でどんどん世界に届く時代。作ってきた曲たちのポテンシャルが証明された今の状況に「幸せですよね。長生きしろってこと」としみじみ語る。
★来年は世界ツアーも
世界ではここ数年、竹内まりや、杏里、大貫妙子、松原みき、八神純子ら70~80年代シティポップのブームが続いている。ギターで同じ時代けん引した1人として、この状況を頼もしく見ている。
「日本語がきれいに乗る、都会的で気持ちいいサウンドですよね。中国や韓国にもない独特の音楽性で、僕の曲も中国公演でめっちゃウケます」。若い世代からの支持は「生の音」にあると感じている。「コンピューターの打ち込み音楽ではなく、ミュージシャンの生の音が録音されていて温かみがある。新しいものに飽きちゃってる若い人にはアコースティックな音のほうがなごめるのかも」。
今年も9月13日の東京公演(かつしかシンフォニーヒルズ)から年末の札幌公演まで全国15公演を行うほか、中国・北京でも公演。来年は英、米、オーストラリアでのワールドツアーも行う。
70代からのグローバルな活躍に「70過ぎたらフェードアウトだと思っていたけど、フェードインしてる」と楽しそう。ロス公演では「グラミー賞をとりたい」と会場を沸かせたばかり。「夢を見るのはタダだし、そう思ってるだけで楽しいよね。横にテイラー・スウィフトがいたら何て言おうとか(笑い)」。
中学1年以来、ギター一筋の音楽人生。「高中さんにとってギターとは」とベタな質問をすると、「楽しい趣味」と答えてくれた。「サンタナやクラプトンやヴァン・ヘイレンが使っていたアンプやエフェクターを使って『自分ならこうする』って録音して、俺ってうまいなー、気持ちいいなーって(笑い)。仕事だけど、ずっと遊んで50年という気もする。僕の楽しみがみんなに届いて、気がついたら海も渡ってた。こんな幸せなことないです」。
★中1からギター一筋
高中がギターと出会ったのは中学1年。ビートルズとベンチャーズに夢中になった。
当時は「エレキギターは不良がやるもの」という偏見の時代でもあったが、学校や教師から何か言われたことはないという。「自分で言うのもアレだけど、成績が良かったんですよ。中学卒業の時には成績トップで、『以上総代 高中正義』って書かれた卒業証書ももらいました。成績が良ければ先生は何も言いませんからね(笑い)。髪も肩まであったし、学校にエレキを持って行って放課後練習もしてましたけど、文句は言われなかったです」。
★学費がアンプ代に
高校に入るとギターばかりで勉強しなくなり、成績も下降。大好きな音楽の道を目指すことにした。「中国人のおやじは俺を大学に行かせるつもりだったけど、入学資金の何十万円かをギターアンプに変えてくれた(笑い)」。実家は東京・大井町のマージャン店。「土日になると俺と兄貴の部屋まで雀卓とお客さんが来て、俺たちは押し入れで寝るの。たばこの煙とジャラジャラいう音が一晩中」と大笑いで振り返る。
★加藤和彦との出会い
高校卒業後、半年ほどアマチュアバンドを経て成毛滋、つのだ☆ひろの「フライド・エッグ」に参加。これを機に72年、元「ザ・フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦に誘われ「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーに。大ヒット曲「タイムマシンにおねがい」(74年)など最先端のサウンドで話題を集めた。
今も変わらない鮮やかな色使いのファッションは、加藤和彦の影響が大きいという。「ロンドンではやったグラムロックのリバイバルみたいなのを加藤さんが『やらない?』って誘ってくれて。髪を染める、10センチヒールのロンドンブーツを履く、ラメの服を着る、みたいな派手な感じが面白そうだなと」。原宿の美容院で高中はグリーン、加藤はオレンジに染めたこともあったという。
★75年解散後ソロ活動
75年に解散後はギタリストとしてソロ活動を始め、76年にソロ初アルバム「セイシェルズ」をリリース。インスト曲、フュージョンのフィールドで人気を集め、「BLUE LAGOON」「渚・モデラート」などの代表曲は今も人気だ。
息の長い活動の秘けつを聞くと「そこそこがいいんですよ」とにやり。「ガーンと売れると、ガーンと落ちるのも嫌だし(笑い)。そこそこ売れるのが一番幸せですよ」。日本音楽界で昭和から「ガーン」と売れ続けている1人、という自覚が薄いレジェンドである。
◆高中正義(たかなか・まさよし)1953年(昭28)、東京都生まれ。71年、つのだ☆ひろ、成毛滋に誘われ「フライド・エッグ」のベーシストとなりプロ活動へ。72年「サディスティック・ミカ・バンド」にギタリストとして参加。76年「セイシェルズ」でソロデビュー。代表作「虹伝説」(81年)は日本インスト音楽史に残る超大作。リー・リトナー、サンタナ、ナラダ・マイケル・ウォルデン、シーラEなど、海外ミュージシャンともアルバムやライブで共演。
■鍛錬あってこそのサーフボードギター 40代からゆるい運動
【健康法】72歳でのエネルギッシュな活動を支えているのは、40代から続けている運動だ。「40歳になって急に太りだしたのが嫌で嫌で。スポーツクラブで習ったストレッチやダンベルなど、時間を決めて今でもやっています。バックミュージックも自分で作っていて(笑い)、ダンベルの時はこの音楽、腹筋の時はこの音楽って感じで、ゆるい運動を30年以上続けています」。
9月からのツアーでは、変形ギターの名作として知られるサーフボードギターを5、6年ぶりに披露するという。マリンスポーツを愛する高中が、サーフボードをくりぬいてエレキギターをはめこんだものだ。普通のギターが4~5キロであるのに対し、サーフボードギターは約7キロ。扱えるのは日々の鍛錬あってこそ。「見た目はアホだけど、ちゃんと弾けるんですよ」。
変形ギターでは、THE ALFEE高見沢俊彦(71)のエンジェルギターも有名なところ。「僕のライバルは高見沢だから」と頼もしそうに笑い、同世代の活躍に刺激を受けている。「サーフボードギターを海外で弾くのは初めてなんですよ。たぶんウケる。楽しみですね」。