SUPER EIGHT横山裕(44)が30、31日放送の日本テレビ系「24時間テレビ48」(30日午後6時30分開始)にチャリティーマラソンランナーとして生出演。悲壮な決意を語った。
出走前の横山はスタート地点で「僕自身、シングルマザーで育って。弟も施設にお世話になったりと、この後VTRでも流れると思うんですが、ちょっとでも知ってもらえたら幸いだと思います。皆さんの背中を押せるように頑張って走りますので、見ていただけたら」と語った。
VTRで横山の半生を追った。3歳で両親の離婚で「僕の実の父、顔は全く分かってないですね」と打ち明けた。母美菜子さんは15年前に亡くなった。墓前で手を合わせ、父と呼んだ人が3人いたと明かした。横山という名字は「2人目のお父さんの名字を継いだので」と語った。
当時を振り返り「ウチは貧乏やったと思うんですけど。それをオカンが見せなかった。裕福ではなかったけど幸せやったし。自分より子供に何かしてあげなって。(母は)おしゃれとか全然してなかった。自分にお金使う人じゃなかった。俺の幼少期の写真見ても、めっちゃいい服着させてるし」と振り返った。
5歳の時に母が再婚。名字が横山となった。「横山のお父さんとはうまくいってなかった。自分の中で居場所がなくなった感覚があって。俺、いらんのかなって思った時期もあるし。じいちゃん、ばあちゃんのところに逃げた記憶がある」と振り返った。
そんな横山を救ってくれたのが、父親違いの弟、6歳下の勤さんと8歳下の充さんの存在だった。「弟が生まれた時はうれしかった。次男がモジモジするタイプやったから。人見知りタイプで勘違いされて、いじめられやすかったと思う。『なんやねん!』って勤の友達に言ったことはある」と明かした。
中学を卒業すると、家計を支えるために高校に進学せず、建設会社に就職。工事現場で働きながら、タレント活動を両立させた。
その後、母は横山が20歳になる前に再び離婚。幼い2人の弟は児童養護施設に行くこととなった。当時を振り返り「お金を稼がないとどうにもならへん。リアルなこと言うと。生きるためには」と言葉をしぼり出した。そして充さんが過ごした養護施設を20年ぶりに訪問した。施設スタッフが当時、充さんの様子を書きためていた日誌を読み、涙する場面もあった。
充さんは施設を卒業後、税理士試験に合格していたことが明かされた。また、勤さんが自身の結婚式で横山への手紙を読むシーンがVTRで流された。横山は「結婚式の時に『兄ちゃん、ありがとう』って言われたのがすごい救われました。『お父さん代わりになってくれて、本当に感謝してる』って言われて。もう涙止まらなかったですもん、正解やったんやって。すごいうれしかった」としみじみ語った。
VTRを終えると、出走前に号泣。横山は「今回、ロケたくさんさせてもらって。感じることがあって、僕はもう走ります。ごめんなさい、自分の家のことになるとこうなっちゃうんです。ごめんなさい」と言葉をしぼり出した。そして「頑張ります!」と声を震わせた。