橋幸夫さん多くの人に「夢」届け逝く 認知症患いながらも「ファンのため」最後まで歌にこだわり

橋幸夫(2025年5月撮影)

歌手橋幸夫(はし・ゆきお)さん(本名橋幸男=はし・ゆきお)が肺炎のため4日午後11時48分に都内の病院で亡くなったことが5日、分かった。82歳。東京都出身。所属する夢グループが発表した。アルツハイマー型認知症を患いながら最後までステージに立つことにこだわった。通夜は9日午後6時、葬儀は10日正午から。いずれも東京・小石川の「浄土宗無量山 傳通院」で。葬儀委員長は夢グループ代表の石田重廣氏、喪主は妻の橋真由美さん。

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昭和の芸能界をけん引し、多くの人に「夢」を届けた橋さんが闘病の末に旅だった。

橋さんは昨年から歌詞を忘れることが頻発。昨年12月には「中程度のアルツハイマー型認知症」と診断された。今年5月に病気を公表した後も「応援してくれるファンのために」とステージに立つことにこだわり続けた。最後のステージは6月12日の京都公演。歌詞を間違えながらもファンのためにと必死に声を張り上げる姿が印象的だった。

石田社長は日刊スポーツの取材に「橋さんが入院する病院から3日夕方、血圧の上が50になったと連絡がありました。その日は仕事の都合で行くことができなかったのですが、4日に病院に行くと上の血圧が150になったというので安心しました。それなのに私が病院を出た後でまた血圧が下がってそのまま息を引き取りました」と説明した。 橋さんは、中学生の時に作曲家遠藤実さんに師事。高1でオーディションに合格して60年に「潮来笠」でデビューして日本レコード大賞新人賞に輝いた。舟木一夫、西郷輝彦さん(22年に死去)とともに「御三家」と呼ばれ、アイドル的な人気を集めた。

NHK紅白歌合戦には17回連続を含む19回出場。62年発売の女優吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」は発売から1カ月で30万を売り上げ、半年でミリオンヒットを達成。日本レコード大賞も受賞した。

その後も66年に「霧氷」でレコード大賞を再受賞するなど順調に歌手活動を続けたが、80歳の誕生日である23年5月3日をもって歌手活動を引退。だが、翌年にはファンの声を受けて復帰した。会見では「けじめをつけたつもりだったが、歌うことが使命だったんだと思った。声が出なくなるまでやりたい」と決意を明かし、歌い続けた。

晩年は病魔と闘いながらも、昭和、平成、令和の3つの時代に最後まで「ファンのために」と歌うことにこだわった音楽界の巨星が旅立った。

▼生まれ 1943年(昭18)5月3日、東京・荒川区の呉服店の9人きょうだいの末っ子として誕生。

▼デビュー 60年7月5日の「潮来笠」。日本レコード大賞新人賞第1号。

▼史上初のレコ大V2 吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」(62年、第4回)と「霧氷」(66年、第8回)で日本レコード大賞獲得。

▼♪脅威のハイペース 63年は16曲、64年は15曲の新曲を発表。持ち歌は500曲を超える。

▼NHK紅白歌合戦 デビュー年から17年連続19回出場。白組トリ2回。

▼デュエット王 吉永小百合以外に安倍理津子との「今夜は離さない」(83年)で日本有線大賞特別賞を受賞。ほか多数とデュエット。

【写真特集】橋幸夫さん死去、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」「霧氷」でレコ大獲得