【悼む】橋幸夫さん「固定されるのが嫌だった」リズム歌謡も確立、歌謡界大全盛支えたプライドも

2021年10月4日、会見で2年後の歌手引退を発表する橋幸夫さん

歌手橋幸夫(はし・ゆきお)さん(本名橋幸男=はし・ゆきお)が肺炎のため、4日午後11時48分に亡くなったことが5日、分かった。82歳。所属する夢グループが発表した。

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橋さんは、東京・荒川区の呉服店の9人きょうだいの末っ子として生まれた。中学時代はボクシングに熱中して、プロも見据えていた。心配した母サクさんが、歌謡教室に行くことを勧めた。橋幸夫誕生のきっかけだった。

60年7月5日に股旅ものの「潮来笠」でデビューすると、またたく間に人気者となった。脅威のハイペースでレコードを発表した。60年代初めには、新曲を約3週間に1枚出した。

御三家(舟木一夫、西郷輝彦さん)の長男として、一世を風靡(ふうび)した。当時を「忙しすぎて、一緒にお酒を飲むことすらなかった」と振り返った。

橋さんは本当は「舟木一夫」の歌手名でデビューするはずだった。中学2年生で日本コロムビアの専属作曲家だった遠藤実さんに師事した。遠藤さんが準備した芸名は「舟木一夫」だった。左右対称の名前は大成すると考えていた。

だが橋さんは日本ビクターからデビューすることになった。ビクターの専属作曲家だった吉田正さんが本名を参考に「橋幸夫」と命名した。

橋さんはかつて「遠藤先生に報告したら『そうか、残念だな…』って、とてもがっかりされていた。それで探したんでしょうね。3年後、コロムビアから今の舟木一夫君がデビューするんです」と懐かしそうに話した。

「沓掛時次郎」「子連れ狼」などの時代ものから、「江梨子」「霧氷」などの青春歌謡。「恋をするなら」で邦楽で初めてエレキギターを使い、「恋のメキシカン・ロック」などリズム歌謡というジャンルを確立した。「何でも固定されるのが嫌だった」と話した。

80歳の誕生日で引退すると発表した直後に「芸能界自体が激変しているでしょう。我々の時代の、(御三家のような)先輩だ後輩だという雰囲気がなくなってしまったしね」と話した。歌謡界大全盛を支えたプライドが見え隠れした。

自分を歌謡界に導いてくれた母サクさんに、心から感謝していた。そのサクさんが老人性認知症で、幻聴、幻覚、徘徊(はいかい)を繰り返した。橋さんが自宅で介護した。その様子を「お母さんは宇宙人」(角川文庫)につづり、ベストセラーとなった。橋さんは「照れくさいから、母にありがとうと言えなかった」と悔やんだ。

我々は照れずに言いたい。「長い間、ありがとうございました」。【笹森文彦】

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