舟木一夫「自分の履歴書の中の1行が抜けちゃった感じ」橋幸夫さん通夜で悲しみ明かす

橋幸夫さんの祭壇(撮影・小島史椰)

4日に肺炎で死去した歌手橋幸夫さん(享年82、本名・橋幸男)の通夜が9日、東京・小石川にある橋の菩提(ぼだい)寺の傳通院で営まれた。橋さん、西郷輝彦さんと御三家として一時代を築いた舟木一夫(80)が参列し、「驚くというより、自分の履歴書の中の1行が抜けちゃった感じ」とつらい心情を明かした。各界から約700人が参列した。戒名は「歓喜院導譽幸運居士」(かんきいんどうよこううんこじ)。告別式は10日正午から同院で営まれる。

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読経が中盤に入った午後6時半過ぎ、舟木は関係者とともに姿を現した。記帳所で丁寧にあいさつして、本堂に向かった。表情は憔悴(しょうすい)しているように見えた。

60年に橋さんが「潮来笠」でデビュー。舟木は3年後に「高校3年生」で、翌64年に西郷さんが「君だけを」でデビューした。歌謡界大全盛の60年代。3人で御三家として一世を風靡(ふうび)した。その西郷さんが22年2月20日に、75歳の若さで亡くなった。そして“長兄”の橋さんも逝った。御三家で残るのは自分ひとりになった。

橋さんの訃報を受けた時、「驚くというより、自分の履歴書の中の1行が抜けちゃったような気がした」と話した。

最近はなかなか会えなかったが、橋さんのことは気にしていたという。80歳の誕生日で引退を表明した際も、「声を痛めて、悩んでいたのは知っていました。歌手橋幸夫を歌えなくなって、決断なさったのかなと思っていました」。

その後、引退を撤回して歌手活動を再開したことについては、「歌手が歌を忘れることは死んでも無理。本能に近いものでしょう。僕ら(歌手仲間)には分かります」と、心中をおもんぱかった。

御三家として、それぞれが本当に多忙だった。股旅の橋さん、学園ものの舟木、ポップス系の西郷さんとうまくすみ分けていた。相乗効果で数多くのファンが御三家に熱中した。

3人で音楽番組を掛け持ちし、数多くの週刊誌の表紙を飾った。あまりにも忙しくて、プライベートで親しくする時間はほとんどなかった。「ライバルというより、周り(関係者やファン)がヒートアップしていた。(歌手の)誰もが負けたくないと思った時代だった」と振り返った。

「潮来笠」「江梨子」「霧氷」「メキシカン・ロック」「子連れ狼」などジャンルを越えて歌いこなした橋さん。舟木は「個性ある歌、独特の声、歌を丁寧に歌う方」と評した。

御三家としてプライベートはなかったが、それでも同世代意識は持ち続けていた。舟木が病気で倒れた時には「橋さんや西郷さんが代役になってくれた」と感謝した。

取材陣にお別れの言葉を問われると、「ご苦労さまと言いたくなかったので、何も言わなかったです」と話した。言葉の端々に、盟友を亡くした悲しさ、無念さが浮かんでいた。【笹森文彦】

○…葬儀委員長をつとめた夢グループの石田重廣社長(67)と保科有里(63)も取材に応じた。石田社長は「俺の方が歳がいっているから、社長頼むぞと言われておりました。昭和の大スターでありながら、普通に話すことで心開いてくれた。橋さんは話すときは常に敬語。『感謝』の思いを大事にされていた。ご苦労さまと言いたいです」。保科は「妹のようにかわいがってもらいました。歌手としても人としても真面目で誠実、まっすぐな方でした」。

▼主な参列者 舟木一夫、三田明、鳩山由紀夫、川中美幸、田川寿美、生稲晃子、錦野旦、三沢あけみ、山東昭子、田辺靖雄(敬称略)