小堺一機が見せる50年近い芸歴のエッセンス 師匠3人は堺正章、勝新太郎、萩本欽一

小堺一機(2025年8月撮影)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

タレント小堺一機(69)が、10月30、31日に東京・丸の内のコットンクラブで「Kazuki Kosakai Sing,Sinfg,Sing&Talk!!」を開催する。今月7日付の芸能インタビュー面「日曜日のヒーロー」で取材した。

長いインタビュー面の原稿は、最初にその相手が予定している舞台やコンサート、ドラマ、映画の話しを書く。それから、子供の頃、芸能界入りのきっかけ、そしてその軌跡を追いながら話を聞いていく。

小堺は1977年(昭52)にTBS「銀座NOW!」の素人コメディアン道場の第17代チャンピオンに輝いた。74年に初代チャンピオンに輝いたのが、小堺とのコンビ、コサキンで知られる関根勤(72)だ。

コサキンの師匠として知られるのが、2人をテレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」(76~86年)のクロ子とグレ子で売り出した欽ちゃん、萩本欽一(84)。2人とも萩本に弟子入りしたわけではない。所属していた浅井企画の後輩だから教えを請い、萩本も教えた。

カマキリ拳法で売り出した、若き日の関根が萩本に気持ち悪がられたのは、お笑い界では有名な話だ。では、小堺はどうだったのだろう。関根より先に「欽ちゃんのどこまで-」に抜てきされた経緯などを詳しく聞いてみようと思っていた。

欽ちゃんについて話をきこうとすると、小堺は「僕には3人の師匠がいた」と言う。萩本の前に師匠が2人いたというのだ。関根は素人コメディアン道場に優勝した時に、野球でいう“ドラフト1位”扱いで浅井企画に迎えられた。だが、小堺は専大3年でチャンピオンになりながら、卒業してから勝新太郎が主宰する勝アカデミーに1年間通ってから、浅井企画に入った。

勝アカデミーでは勝新太郎はもちろん、森繁久弥、岸田森という日本芸能史に残る名優から教えを受けた。だが、その前に教えを受けたのが堺正章(79)だという。堺が司会をしてた日本テレビ系「紅白歌のベストテン」の前説をしながら、堺の姿を見て勉強したという。堺、勝、萩本の順で教えを受けた。

よく考えてみれば、少年時代は浅草に住んでいたという小堺だが、萩本から来る浅草芸人のテイストは皆無だ。堺のウイットに富んだ芸の影響を受けている。代表的なのが、小堺の堺のものまね。「堺でございます」から始まる芸は、他の芸人がまねる堺の原型になっている。ジャズやタップなどニューヨークテイストの小堺の小意気な芸の源流が堺だ。

もちろん、萩本の芸の影響も大きい。司会としての回し、そしてツッコミは萩本から来ている。他にも84年10月から始まったフジテレビ系「ライオンのいただきます」「ライオンのいただきます2」、そして「ライオンのごきげんよう」と16年3月まで31年半、続いた平日午後1時台のトークのゲストたちにも鍛えられたという。ちなみに31年半というのは、タモリ(80)が司会の「笑っていいとも!」とタイ記録だ。

50年近い芸歴のエッセンスの詰まった「Kazuki Kosakai Sing,Sinfg,Sing&Talk!!」が楽しみだ。【小谷野俊哉】