「心凍らせて」高山厳、充実の50年…集大成弾き語りライブ2日間開催の思いとは

ソロデビュー50周年を迎えた高山厳

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

「心凍らせて」(92年)の大ヒットで知られる高山厳(73)が、ソロデビュー50周年を迎えた。

決して順風満帆ではなかったが、「人生を旅に置き換えてみると、目的地に行けることもあれば、行き先を間違えることもある。それでも自分の財産になっているのかな、と思います」と語っている。さまざまな経験を糧にして、高山は充実の50年を迎えた。

高山は71年に、ばんばひろふみ、今井ひろしとフォークグループ「バンバン」を結成。大阪を中心にシンガー・ソングライターとして活動していた高山を、ばんばが「一緒にやろう」と誘った。72年に高山厳(当時は本名・高山弘名義)が作詞作曲した「何もしないで」でデビューした。

その後「自分の音楽を追究したい」と脱退。75年7月に「忘れません」でソロデビューした。ピアノの弾き語りのスタイルで、亡くなった母への感謝を歌う。心に染み入る曲で評価も高かったが、チャートを駆け上るほどではなかった。

一方、バンバンは同年8月に荒井由実(現松任谷由実)が提供した5枚目シングル「『いちご白書』をもう一度」が大ヒット。オリコンチャート1位に駆け上がった。

高山は脱退後、生活のためにプラスチック工場で働きながら、音楽活動を続けていた。「東大阪の、小さい町工場が多い場所で、仕事が終わってシャッターを閉めようとしていたら、どこからともなく『いちご白書』が流れて来たんです。一緒にやった仲間のヒットを喜ばねば、と思いつつも、辛かったですね」

高山の音楽性、歌唱力を評価するスタッフが、レコードを出し続けてくれた。そして84年に「有線(放送局)回りをやってみないか」と声をかけてくれた。全国各地にある有線放送局を回るための、ギリギリの予算も確保してくれた。

「多い時は1日に20カ所、遠いところは車を運転して行きました。2、3週間行きっぱなしという時もありましたね」。

当時、有線放送はテレビやラジオとともに、ヒットへの有力な原動力で、演歌からポップス、アイドルまで有線放送局回りを行っていた。局員が一生懸命な歌手の曲を、積極的に掛けてくれた。有線放送局への電話リクエスト回数が、賞レースに大きな影響を及ぼした時代だった。

高山は新曲が出るたびに、有線放送局に足を運んだ。最終的には延べ3200カ所に及んだという。

その地道な活動が奏功した。91年のある日、著名な作詞家の荒木とよひさ氏が有線放送で、高山が歌う「泣かされたって」を聴いた。同曲は荒木氏の作詞、浜圭介氏の作曲で、韓国歌手チョー・ヨンピルに86年に提供したものだった。

高山は5年後の91年3月にカバーしていた。荒木氏はその歌声、表現力に興味を持ち「誰が歌っているの?」と調べた。

これをきっかけに完成したのが、92年8月発売の大ヒット曲「心凍らせて」(作詞・荒木とよひさ、作曲・浜圭介)だった。

♪心凍らせて 愛を凍らせて 今がどこへも 行かないように

「このころ歌謡曲路線(アダルト・ニューミュージック)に変えたんです。そんな経緯と、有線のおかげで『心凍らせて』につながったんです」。

同曲は第26回全日本有線放送大賞グランプリ、第35回日本レコード大賞作詞賞を獲得。第44回NHK紅白歌合戦初出場も果たした。オリコンが発表した「平成の演歌・歌謡シングル売り上げランキングTOP10」によると、「心凍らせて」は<1>「千の風になって」(秋川雅史)<2>「孫」(大泉逸郎)<3>「こころ酒」(藤あや子)に次いで、4位にランクインするロングヒットとなった。

10月19日には大阪のBERONICAで、同26日には東京・目黒BLUES ALLEY JAPANで「50周年 弾き語りライブ」を開催する。

「(バンバン時代も含め)50年プラス3、4年の曲を歌う予定です。この他、僕が思う(他のアーティストの)名曲たちを『僕が歌えばこういう歌い方もあるよ』と、聴いてもらいたいですね」

50年の、まさしく集大成ライブになりそうだ。【笹森文彦】