寺田恵子SHOW-YA40周年の“無限”LOVERS 大ヒット-脱退-復帰…命ある限り

デビュー40周年。パワフルな歌声を届け続けるSHOW-YA寺田恵子(撮影・足立雅史)

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女性ロックバンドSHOW-YAが8日、40周年記念カバーアルバム「無限」をリリースする。30周年からの流れをくむカバーアルバムだが、今回は昭和~平成の名曲をSHOW-YA風のロックにアレンジ。女性バンドの先陣を切り続けるSHOW-YAのボーカリスト寺田恵子(62)がアルバムに込めた思いを明かし、かつての脱退劇についても語った。【川田和博】

★リスペクトとSHOW-YA風

“限界”から“無限”へ。デビュー以来、女性バンドの先陣を切り続けるSHOW-YAの40周年記念作品も、30周年と同様カバーアルバムとなった。「前回出した2枚の(カバーアルバムの)収録曲は、男性のバンドやレジェンドアーティストだったので、今回は昭和歌謡曲を中心にという話になった」と明かした。

メンバーそれぞれが候補曲を出し合って選曲。「SHOW-YAに似合う曲や、やってみたい曲を選んだ。今回入ってない、結構いい感じの曲はまだあるので…(笑い)」。

寺田がこだわった曲は「春よ、来い」だった。「私がどうしてもやりたいって言って、入れてもらった。これは昭和じゃないんですけど、どうしても歌いたくて、ライブでもやってみたい曲だった」と説明した。

SHOW-YA風にアレンジされた同曲は、壮大なバラードに。「ユーミンと私の世界観は違うので、その違いを出すことにこだわった。アレンジをしてる段階で、景色が見える曲にしようって。はじめは狭いところで、ポツンと1人で立って遠くを見てる。それがだんだんパッと開けていって、最後はドーンという、そういう感じの作りにしようってなった」。

名曲のカバーにあたり、楽曲に対するリスペクトを示しつつ、SHOW-YA風に料理した。「郷ひろみさんはたくさんのヒット曲があるけど、さすがに『男の子女の子』は違うかなって。樹木希林さんとの曲とかも、ライブでやったら楽しいなとは思うけど、パロディーみたいになっちゃうのはちょっとイヤだなと思った」と語った。

今回収録された10曲の中で、唯一の演歌が「雨の慕情」だ。「海外の人に『日本の音楽で好きなのは?』と聞くと、やっぱり演歌なんです。その理由は『ブルースを感じる』。それこそ美空ひばりさんは、本当にすごいブルースだって。ロックもルーツをたどるとブルースなので、共通しているんですよね」とうなずいた。

同曲はアルバムの中で唯一、寺田の雰囲気が違う。「うちのギターがどうしても『恵子の演歌の声が聞きたい』って言うので、ちょっと演歌に寄せた感じで歌わせていただきました」。

完成したアルバムは「エモい」「重い」「エロい」3拍子がそろった作品となった。“昭和生まれのSHOW-YA育ち”が喜び、ライブでも盛り上がるマストアイテムとなりそうだ。

★レコーディングで「やめなさい」

寺田は91年、SHOW-YAを脱退している。「最後のライブは91年2月だと思うんですけど、やめようと思ったのはその前の年。最後のレコーディングをロスでとっていた時に『やめよう!』と思って、電話しましたね」と回想した。

破天荒にも聞こえるが、実は追い込まれていた。「ちょうどその時、アメリカデビューに向けて、向こうで生活をしていたんです。言語の問題もあるじゃないですか。そういう心配もあった」と振り返った。

89年には「限界LOVERS」が大ヒット。結果は想像以上だった。「当時の『売れる』が『こんなに大変なんだ』ってくらいで。寝る時間もなくいろんな仕事をしていた。それで肉体的にも精神的にも追い詰められていったのかなって。あと、音楽性も若干、メンバーとのズレも感じていた」。

1年半ほど前から、ずっと頭の中に「ゼロ」というキーワードが浮かんでいたという。「何かにつけて出てきていたんです。『このゼロは何だろう?』と一生懸命探してる時に、最後のレコーディングで『やめなさい』って聞こえちゃったんだなぁ…。その瞬間にスタジオを出て、日本に電話していました」。

所属事務所やレーベルが大慌てになったのは想像に難くないが、寺田の結論は変わらなかった。ただ、その後にソロとして活動している。「だから、ソロになるためにバンドをやめたって思われがちなんです。でも、そうではなくて。本当に私の中でSHOW-YAが全てだったから、SHOW-YAをやめたら音楽をやる資格はないって思っていたし、やめた瞬間から音楽を聞くのが苦手になってしまった」と打ち明けた。

★勝手に入れたカラオケで…涙が

そんな寺田を音楽に戻したのも「限界LOVERS」だった。「友だちが勝手にカラオケに入れて、途中で『分からなくなった!』とマイクを渡されて歌ったら涙がバーって出てきて」。

偶然にもその3日ほど後、関係者からの説得があり戻ることを決意した。「自分がレールを敷くというよりも、ある程度決まったレールがあって、そのレールを外れても、またそこに戻ってくるのなら、もうここで骨をうずめようって。そう決めて戻りました」。

SHOW-YAに戻るため、5年かけてメンバーに謝罪した。「00年から意識しはじめて、5年かけてダメなら再結成は諦めよう、って。04年にスタジオに入るところまでこぎ着けたけどダメ。もう最後って時に『これで最後にするから。どうなの?』って、メンバーに泣きながら言いましたね」と述懐した。

自ら飛び出したSHOW-YAへの復帰。「自分の中で勝手に悩んで結論を出して、シャットアウトしてしまった。メンバーにとって私は、裏切り者的なくらい嫌なヤツのはずなんです。だから、自分が信用を取り戻すためには、一生懸命に謝るしかない。それと、先のビジョンとかもたくさん話しました」。

★命ある限り この声が続く限り

今後はどんな道を進むのだろうか。「それこそ命ある限り、この声が続く限り、ステージには立ち続けたいと思っているし、それはメンバーもみんな一緒。やれるところまで自分たちで頑張ってやっていく」と力強く誓った。

女性バンドの先駆者としての意識も示した。「こういう道を一応作ったけど、この道を走ってもいいし、違う道を自分たちで切り開いてもいいというのは、やっぱりやっていかなきゃいけないのかなって、ちょっと思ったりしています」。

現在、88年に行った100本ライブを再現する「100 LIVE AGAIN」を実施中。今月には40周年記念東名阪ツアーも開催する。女性バンドの先頭を走り続けるSHOW-YAを代表し、最後は「死ぬまで青春! よろしく!」とロッカーらしく決めた。

<SHOW-YA「無限」収録曲>

(1)プレイバックpart2

(2)六本木心中

(3)少女A

(4)傷だらけのローラ

(5)春よ、来い

(6)ボヘミアン

(7)2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-

(8)雨の慕情

(9)TIME ZONE

(10)東へ西へ

◆寺田恵子(てらだ・けいこ)1963年(昭38)7月23日生まれ、千葉県出身。85年、SHOW-YAのボーカルとしてデビュー。メンバーは中村美紀(キーボード=66)角田美喜(ドラム=61)仙波さとみ(ベース=62)五十嵐美貴(ギター=62)。87年に女性バンドのみのロックフェス「NAONのYAON」をスタート。91年にバンドを脱退も05年に復帰。08年に同ロックフェスを再開。