ぼんちきよしと師匠・ぼんちおさむとのきずな「弟子で良かったです」

初の写真展を開催するぼんちきよし(左)と祝いに駆けつけた師匠のぼんちおさむ(撮影・阪口孝志)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

漫才コンビ、ザ・ぼんちのぼんちおさむ(72)の弟子ぼんちきよし(49)が12日まで、奈良・生駒市の芸術会館美楽来で、自身初の写真展「ぼんちきよし写真展 Good Morning Asia」を開催した。

21年にカメラマンに転身したきよしが、初の写真展を開催。開幕前の会見にはおさむ、かわいがってくれている生駒在住の宮川大助・花子も応援に駆けつけた。

きよしは94年、おさむに弟子入り。大木つばさとつばさ・きよしを結成し、2005年の第35回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を獲得するなど活躍した。

島田紳助さんにあこがれ、お笑いを目指していたときに叔母のつてを頼っておさむと出会った。「紳助は厳しい。俺に付いてみい」と弟子に取ってくれた。

当初、おさむは厳しかった。おさむが出演していたテレビ朝日系ドラマ「はぐれ刑事純情派」の現場に付いていくたびに、皆の前で本名の「佐藤」と呼びつけ、「佐藤、何やっとんや」と何度も怒られた。怒られる理由が分からず、芸人を辞めようと思ったときもあった。

そんなときに元TOKIOの城島茂が「全部愛情やで。最初に名前を言うて怒るやろ? この世界は名前を覚えてもらうのが大変やから」と諭してくれた。主演の藤田まことさんからも「おさむほど弟子のために動くやつはいない」と言われた。実際、どこに行っても「おさむさんとこのお弟子さん」と覚えてもらえていた。

芸能界の厳しさを知るがゆえに、芸能界を辞めさせ、まっとうな仕事に就くよう、おさむがわざと厳しく当たっていたことも後に知った。

おさむには、ジミー大西、吉田ヒロ、きよし、チャド・マレーンらがいるが、おさむは会見で「きよしが一番かわいい」とこぼした。住み込み弟子として付いたきよしは、年季明け後も実の息子のようにかわいがってもらい、おさむ夫妻の海外旅行にも同伴するなど家族ぐるみの関係が続く。陰に陽に支えてくれる師匠について、同期のブラックマヨネーズ小杉竜一からは「おさむ師匠に会うて『きよしといつまでも友達でおったってな』って言われた。どんだけええ師匠やねん」とうらやましがられた。

ジミーとヒロは絵画、きよしは写真、チャドは翻訳と、お笑いだけにとどまらない活躍を見せている。

きよしは「師匠からは『芸人は芸だけじゃなくてええねん。決められた枠におらんで自由でええ。ただ、みんなに喜んでもらえたらええ。言葉で分からんことは(里見)まさとに聞け』と言われました。先日、ヒロさんと食事したんですが、『おさむの弟子で良かった。この人じゃなかったら、2人とも芸人辞めてる』と話しました。何がすごいって、師匠が今、弟子の誰よりも突っ走ってる。それが一番すごい」。70歳を過ぎても精力的になんばグランド花月の舞台に立ち、「THE SECOND~漫才トーナメント~」にチャレンジする師匠のバイタリティーに驚く。

きよしは13年にコンビ解散後、16年からよしもとアジア住みます芸人としてタイに在住した。18年に現地で事故に遭い、歯が折れたり下顎の骨折や内側靱帯(じんたい)損傷・肋骨(ろっこつ)を打撲。病院で緊急手術を受けた後、日本に帰国して治療を受けたが、オトガイ神経断裂で右頬にまひが残った。

話芸の道を断念し、転身したのがカメラマンだった。ここでもおさむに救われた。「はぐれ刑事純情派」の現場で、プロのカメラマンから技術や距離感を学んでいたこともあって、本格的ではないものの写真は撮っていた経験が生きた。おさむからは「きよしは温かい写真を撮る。距離感がいい。はぐれ刑事の現場で教わった距離感が身についている」と背中を押してもらった。

海外で撮った写真を中心に展示された53点の中には、ザ・ぼんちや大助・花子を舞台袖から撮った写真も並んだ。

ザ・ぼんちの写真は26日になんばグランド花月でスタートする全国ツアー「ザ・ぼんち芸道55周年記 念単独ライブ~漫才はとまらないッ~」のポスターに採用された。

おさむは「生きている。動いている瞬間が撮れている」と躍動感ある写真に大満足。きよしも「会社からも師匠の記念のポスターにしていただいて、こんなにうれしいことはない」と喜んだ。

写真展は20点近くの作品が購買されるなど盛況に終わり、来年に予定しているタイでの展示会に向けても弾みがついた。

大阪・関西万博出演などもあり、開催中は足を運ぶことはできなかったおさむに「無事終わりました」と感謝の報告。「良かったね」と帰ってきた返事に、きよしは「おさむの弟子で良かったです」と万感の思いを込めた。