岡宏さんをしのぶ会に300人 バンマス歴60年超、数え切れない歌手の歌唱を支えた陰の立役者

2024年10月14日、ディナーショーを行った「岡宏とクリアトーンズ・オーケストラ」のバンドマスター、岡宏さん(中央)と出演者ら

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

日本有数のビッグバンド、岡宏とクリアトーンズ・オーケストラのバンドマスターで歌手の岡宏さんをしのぶ会が11月3日、東京・品川プリンスホテルで開かれた。

岡さんは昨年11月8日に、脳梗塞のため83歳で死去した。しのぶ会は「一年ぶりに『岡宏先生』と出逢う会」として開催された。

故人と親しかったデヴィ・スカルノ夫人、作曲家の徳久広司氏、シンガー・ソングライター小田純平ら約300人が訪れた。

デヴィ夫人は「出会いは25年ぐらい前で、最初、クリアトーンズの演奏を聴いて感動を覚えました。数々の功労賞をいただき、8万枚にも及ぶ楽譜を残され、すごい方だなと思いました。もっといろんな会話をすればよかったと後悔しております」と話した。

ビッグバンドはホーンセクション(トランペット、トロンボーン、サックス)に、リズムセクション(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)を加えた17人前後で編成される。

バンドマスターとは楽団の楽長、指揮者の意味で、バンマスと略される。岡さんはクリアトーンズ・オーケストラで半世紀。前身のバンドを加えると、バンマス歴60年以上の大御所だった。

歌手の後方で指揮し、プロ、アマ問わず数え切れない歌手の歌唱を支えた。まさに陰の立役者だった。

中学の時に、戦後日本のジャズ界を代表したテナーサックス奏者の松本英彦さんにあこがれ、中古のサックスを手に入れた。

日大芸術学部に入学し、日大リズム・ソサエティ・オーケストラに入団。在学中からビクター・オーケストラの専属となり、本格的にプロの道に入った。

「ビクターでは兵隊でしたから、どうせやるならリーダーにならないとつまらない」と、63年に小楽団を結成。74年にフル編成のクリアトーンズ・オーケストラになった。

カラオケの台頭などで生演奏の需要は減ったが、岡さんは60年以上、バンマスとして走り続けた。

音楽プロデューサーや作曲家としても才能を発揮した。元夫人の歌手キム・ヨンジャを、紅白歌手に育て上げた。

そのキャリアで「今の歌手はみんな止まっている。自分の枠から出ない」と言い放つなど、歌謡界のご意見番としても存在感を示した。付いた異名が「BOSS(親分の意)」で「(辛口は)俺の役目と思っている。身に染みている人は結構多い」と話した。

23年6月には、その異名から「BOSS★岡」の歌手名で、「かすり傷」(作詞・田久保真見、作曲・小田純平)という作品で歌手デビューした。

「今は新人歌手だけど、これからの俺を見ろ。絶対前に進んでみせますから。紅白歌手になって賞レース総なめ、というところを見せて、歌謡界に活を入れますよ。(演奏も歌も)両方とも一線を目指します。(歌謡界の)大谷翔平ですよ」。大言壮語ではなく、正真正銘の本気だった。

「出逢う会」はクリアトーンズ・オーケストラの演奏で幕を開け、グレン・ミラー楽団の演奏で大ヒットしたジャズスタンダード「In the Mood」で幕を閉じた。

脳裏に焼きついた、指揮棒を振る岡さんとの1年ぶりの“再会”を、誰もが喜んだ。【笹森文彦】