講談師神田陽子「お嬢ちゃんには無理」と言われた 憧れの森田健作と対面「青春が戻って来た」

神田陽子(2009年9月撮影)

女性講談師の草分け的存在の神田陽子(67)が15、22日に放送のBS日テレ「森田健作アワー 人生ケンサク窓」(土曜午前9時)に出演する。このほど東京・汐留の日本テレビで収録が行われた。

今回が初顔合わせの2人だが、神田は、小学校時代に森田主演の日本テレビ系「オレは男だ!」を見て以来の“森健ファン”だったことを明かし、それがきっかけで剣道を始めたという。

神田は、小学校時代に映画会社「東映」の児童劇団に入団するなど、芸能界を目指したこともあった。高校卒業後は演劇系の大学を目指して受験をしたが、「全て失敗だった」。それもあって、文学座演劇研究所に入所したという。しかし、田中裕子や富沢亜子、矢代朝子の演技力を見て落胆したばかりか「1年でいらないと言われました」と苦笑いで振り返った。

そんな時に運命を変えたのが、叔父からもらった1本のカセットテープだった。それは2代目神田山陽が演じた講談「レ・ミゼラブル」だった。少女のコゼットからジャン・バルジャンまで1人で演じ分けていたことに衝撃を受けた。弟子入りを懇願して1979年(昭54)に入門。82年に二ツ目、そして88年に真打ちに昇進した。

「当時の講談界は低迷していて、誰からも“斜陽の芸”なんて言われていました。そんな中で傾向が似ていたのが将棋界だったのですが、いつの間にか女性棋士が増えたことからテレビや新聞、週刊誌で取り上げられ盛り上がっていたのです。それを見て“講談も女性だ”と考えている時期だったようで、そのタイミングに私は合っていたのだと思います」。

一方で、講談の世界は「弟子に教えるという考えはなかった」という。そのような中で「神田山陽師匠はテープに録音させてくれるなど丁寧に教えてくれた」と感謝の言葉を口にした。他の講談師からは「お嬢ちゃんには講談は無理、お稽古事じゃないんだから」と揶揄(やゆ)された時代だった。師匠の支えもあって、女性講談師として花を咲かせた神田は、54歳になった2012年に早大人間科学部に入学、5年かけて卒業した。

その神田の講談人生を支えた曲は、女性ロック・グループ、プリンセス・プリンセスの「Diamonds(ダイアモンド)」だった。

「発売した当時(89年)は毎日聴いていました。くじけそうになった時に聴くと、頑張ろうと言う気持ちになりました。自分への応援歌でしたね。今でも自分のテーマ曲にしていて、カラオケに行ったら絶対に歌います」。長年の夢だった森田と対面して、心に秘めていた「Diamonds」への思いを語ったことから、神田は「青春が戻ってきたような感じです」と笑顔。森田は「俺はいつでも青春だからね。お互いに生きている限り青春だよ」とエールを送った。

神田は森田がパーソナリティーのFM NACK5「青春もぎたて朝一番!」(12月7日午前6時30分)とニッポン放送「青春の勲章はくじけない心」(12月22日午後6時20分)にも出演する。