木村徹二が父・鳥羽一郎から贈られた言葉「雨垂れ石を穿(うが)つ」通りの活躍

ワンマンライブで歌う木村徹二(15日、東京・日本橋三井ホール)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

歌手木村徹二(34)が11月15日に、東京・日本橋三井ホールで「木村徹二LIVE3~アイアンファミリー集結!キミとアナタとそして俺~」を開催した。

「兄弟船」で知られる鳥羽一郎(73)の次男。2022年11月16日に鳥羽を想定した「二代目」でデビューした。この日が、3年目の最終日だった。

3度目のワンマンライブで、開演前の取材では「1年ごとの進化、3年たっての進化、その伸び率を聴いてもらえれば」と話した。

ライブでは「雪唄」などオリジナル曲だけでなく、最新カバーアルバム「ザ・カバー3~すいません!アイアンマシマシで!~」に収録された演歌やポップスの名曲も歌った。

「兄弟船」はもちろん、鳥羽ファミリーの1人の叔父・山川豊(67)の「アメリカ橋」。「長い夜」(松山千春)「北の宿から」(都はるみ)「石狩挽歌」(北原ミレイ)「ラブ・イズ・オーヴァー」(欧陽菲菲)など。

デビュー時のキャッチフレーズは「ガツンと響く!アイアンボイス!!」だったが、力強さだけでなく、ソフトな歌声でも満員の観客を魅了した。

幼少のころの父の印象は「たまに帰ってくる怖い人」だった。歌謡界全盛の時代、全国公演などで何カ月も帰って来なかった。それでも父のこと、父が歌う歌は全部好きだった。

「小学校のころから父のCDを聴いて寝る生活でした。父のステージは舞台そでから、すごい回数見ています。だから、頭の中に父の節回し、声の出し方が染み付いていました」。

大学在学中に、鳥羽一郎の息子であることを隠してコンテストに出場し、優勝したこともあった。レッスンを受けたことはない。父の歌を聴き続けて来た蓄積とDNAで、歌の才能が開花し始めていた。

16年の大学卒業後に転機が訪れた。すでにシンガー・ソングライターとして活動していた長男・木村竜蔵(36)と兄弟デュオ「竜徹日記」を結成し、ポップスも演歌も歌う音楽活動を始めたのだ。デュオ名は母が2人の幼少期を撮影したホームビデオのタイトル。まさに「兄弟船」だが、当初は父に相談しなかった。

しばらくして鳥羽のステージにゲストで呼ばれるようになった。木村は「人の多さとか、景色が全然違うんです」と、父の大きさを実感したという。

竜蔵が他の歌手に演歌を作詞作曲するようになると、兄よりコブシが回る木村が「仮歌」を録音した。それを聴いたレコード会社の関係者が、木村の歌唱力を評価して、演歌でのデビューが決まったのだ。

来年2月11日に兄の作詞作曲で、新曲「風神雷神」を発表する。風と雷の神を対で描いた「風神雷神図〓(尾の毛が併の旧字体のツクリ)風(びょうぶ)」(画・俵屋宗達)が思い浮かぶ。鳥羽をほうふつとさせるド演歌のタイトルだ。

竜蔵は「(徹二の)男っぽさは(他に)ないタイプ。ボクサーパンツより、ふんどしが似合う。そんな曲です」と解説した。“ふんどし演歌”とは面白い。

来年4月2、3日には「木村竜蔵 木村徹二が歌う 坂東玉三郎の世界」(東京・新橋演舞場)が開催される。重要無形文化財保持者(人間国宝)の玉三郎が、構成・演出・MCを務める。古き良き時代のアメリカンスタンダードやカンツォーネ、J-POPなど、幅広い音楽を披露する。

鳥羽ファミリーのコンサートをテレビで見た玉三郎が、その空気感にほれ込んで実現した。

ソロに、竜徹日記に、鳥羽ファミリーの活動にと、4年目は今まで以上に忙しくなる。木村は「調子に乗らないように頑張ります」と誓う。

デビューに際し、父から贈られた言葉は「雨垂れ石を穿(うが)つ」。

小さな雨のしずくでも、何度も石の上に落ちれば穴をあけられるの意味。転じて「根気よく続けていれば、いつか成果が得られる」という格言である。

木村徹二は、その言葉通りに確実に歩んでいる。【笹森文彦】

◆木村徹二(きむら・てつじ)本名同じ。1991年(平成3)7月11日、東京生まれ、横浜育ち。駒大卒。スポーツ歴は小・中学はサッカー、高校から大学までバスケットボール。第65回日本レコード大賞(23年)の新人賞。趣味は筋トレ、読書、お笑い鑑賞など。身長183センチ、体重85キロ、血液型B。