NHK朝の連続テレビ小説「ひらり」や大河ドラマ「毛利元就」などの脚本家で、女性初の横綱審議委員も務めた内館牧子(うちだて・まきこ)さんが17日、急性左心不全のため死去した。77歳。秋田県出身。
内館先生と初めて会ったのは、1989年(平元)のTBSの連続ドラマ「オイシーのが好き!」の時だった。先生は武蔵野美大を卒業後、三菱重工に入社。OL生活を送りながら、シナリオライターの学校に通って、35歳で会社を辞めて、88年に脚本家デビュー。「オイシーのが好き!」は、初めて本格的に手がける連ドラだった。
プロデューサーは、ディレクターも兼ねる“エンタマさん”遠藤環氏。「ザ・ベストテン」や「ぴったし カン・カン」などの音楽、バラエティーの演出家としても鳴らし、ダブルのジャケットを粋に着こなした遠藤氏は、自身のプロデュース作品でも演出家を務めていた。遠藤氏に徹底的に鍛えられた内館先生は、90年にテレビ史に残る名作連ドラ「思い出に変わるまで」のメイン脚本家を務めて、その名声を確固たるものにした。
その後も立て続けにTBS「あしたがあるから」「…ひとりでいいの」と若い女性の生きざまを描いたヒットを飛ばした。92~93年にはアイドル女優だった石田ひかり(53)を“若き国民的女優”に押し上げた、相撲女子を描いたNHK連続テレビ小説「ひらり」。93年にはフジテレビ「都合のいい女」で女性視点だけではなく、男の見勝手な視点からもストーリーを書いた。97年にはNHK大河「毛利元就」を担当した。
00年には女性初の横綱審議委員となった。「ひらり」で書いた、大好きな大相撲の世界で武蔵丸、朝青龍ら横綱に厳しく注文をつけた。
もう1つ大好きだったのがプロレス。11年に一緒に「プロレス大賞」の審査員を担当した。主催の新聞社には審査員がたくさんいたが、それぞれ担当の団体を持って票は分散していた。まず1回目の投票を行い、上位の選手について論じ合うのだが、内館先生がリードしていた。大麻事件で相撲界を解雇された元前頭の鈴川真一(42)の逆転新人賞では「不祥事からはい上がった人の味方にプロレスがならいないでどうする」と、2人で共闘した。
年間最高試合賞の審査では、東日本震災チャリティーALL TOGETHERでの「小橋建太&武藤敬司×矢野通&飯塚高史」を2人で推した。チャリティーの試合よりも、タイトル戦を推す声に対し、記者が「小橋と武藤は足のけがで満足に歩けないのにムーンサルトを決めた」と言うと、大笑いしてほめてくれた。
16年に小説「終わった人」が話題となった時にインタビューした。話を聞くというより、思い出を語り合うといった感じだった。「私が今いるのは、エンタマ(遠藤環氏)のおかげ」と恩人の名前を口にした。小説の中のことを聞いても「ほら、あの武藤さんが言ってたことよ」と言うので、どこの武藤かとけげんな顔をしてしまった。すかさず「武藤敬司に決まってるじゃない」と笑った。その後はパーティーやイベントに出席する際に取材したが、近年は心臓の病で大変そうだった。
エンタメ、格闘技の世界で36年にわたってお世話になった。お疲れさまでした。安らかにお眠りください。【小谷野俊哉】