<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
脚本家で、女性で初めて大相撲の横綱審議委員会(横審)委員を務めた内館牧子(うちだて・まきこ)さんが12月17日、急性左心不全のため、都内の病院で死去した。77歳だった。
内館さんは音楽にも造詣が深く、日本レコード大賞の制定委員、諮問委員などを長らく務めた。
さらに作詞家としてもヒット作品を残している。中でも、演歌歌手鳥羽一郎(73)の50枚目のシングル「カサブランカ・グッバイ」(96年=作詞・内館牧子、作曲・三木たかし)は、鳥羽のイメージを一変させてヒットした。
鳥羽は「その後(師匠の作曲家)船村徹先生のパーティーなどで何度かお会いして、『また一緒にやりたいですね』と言われていました。(訃報に接し)とても残念です」と話した。
「カサブランカ・グッバイ」は内館さんの希望で、鳥羽に書いた作品だった。
男は、交際相手に別れ話はみっともないから、別れる気なら、黙ってドアの前にカサブランカの花を置いて帰ってと言われていた。
男には別に女がいた。ある日の夜、男は白いカサブランカの花束を持って、交際相手の家の前まで行くが、未練からか置かずに花束を投げ捨てる。
家に帰ると、男の部屋の前に白いカサブランカが置かれていた。「別れてあげる」という小さなメモが添えられていた。交際相手は二股男のずるい心情をとうに見抜いていたのだ。
ちなみに「ユリの女王」と言われる白いカサブランカの花言葉は「純白」「無垢(むく)」。
NHK連続テレビ小説「ひらり」(92年)などで人気脚本家になっていた内館さんらしい、ストーリー性のある作詞である。
関係者によると、内館さんは映画「カサブランカ」の主演俳優ハンフリー・ボガートの男くさく寡黙なイメージを、鳥羽に重ねて作詞したと言われている。
映画のカサブランカは、地中海と大西洋に面したアフリカ・モロッコの最大都市。第2次世界大戦中、ドイツの占領下にあった同地を舞台に、戦下のラブストーリーが描かれた。
編曲を担当した若草恵氏は、レコード会社のディレクターから「鳥羽一郎が歌うと考えないで、編曲してほしい」と言われたという。名作曲家の三木たかし氏も、それを意識して独特のメロディーを紡いだ。
若草氏は「地中海をイメージして、マンドリンやダルシマー(金属弦を小さなハンマーでたたいて音を出す打弦楽器)を用いて、民族的な感じを出したいと編曲しました。歌詞が素晴らしく、まさに映画のシーンが浮かんで来るようでした」と話した。
実は、そうして完成した「カサブランカ・グッバイ」は、すぐに発売されなかった。「兄弟船」「男の港」「泉州春木港」など、海の男のイメージが定着していた鳥羽に「合わないのでは」「タイミングを少し見よう」と、レコード会社は発売をちゅうちょした。
関係者によると、しばらくして内館さんが97年放送のNHK大河「毛利元就」の脚本を担当することが決定。その効果への期待もあって、96年8月21日に「カサブランカ・グッバイ」は発売された。
ただ、鳥羽のファン層とは違う作品だったことから、大がかりな宣伝はなく、作品のポスターも制作されなかった。
鳥羽は「有線やラジオ番組で流れると、誰が歌っているか分からない、と言われましたね」と振り返った。クイズ番組で「誰が歌っているでしょう?」と出題されたこともあった。
だが鳥羽の独特の表現力とストーリー性がマッチして、ジワジワとヒット。鳥羽は96年の第47回NHK紅白歌合戦と第48回で、「カサブランカ・グッバイ」を2年連続で歌唱した。
鳥羽は「私にとって(歌手としての)引き出し増やしてくれた宝物です。本当にありがとうございました」と心から感謝した。
「カサブランカ・グッバイ」のカップリング曲「ハマナスの眠り唄」(作曲・三木たかし)も、内館さんが作詞した。海岸の砂地に咲くハマナスが子供。それを包み込む海が父という設定で、父が子供にアドバイスを送る、ゆったりとした秀作である。鳥羽は今でも好んで歌っている。
そして、鳥羽の次男の歌手木村徹二(32)が昨年、アコースティックバージョンでカバーし、CD発売した。
内館さんの言霊は、親子に歌い継がれている。【笹森文彦】