<第38回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原音楽出版社協賛)>
第38回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞が12月28日に発表され、実写日本映画の興行収入(興収)記録を22年ぶりに塗り替えた「国宝」が作品賞、李相日監督(51)の監督賞、吉沢亮(31)の主演男優賞はじめ、史上最多の6冠に輝いた。
主演女優賞は、広瀬すず(27)が受賞した。
「海街Diary」の新人賞から10年。広瀬が主演女優賞に輝いた。「遠い山なみの光」(石川慶監督)「ゆきてかへらぬ」(根岸吉太郎監督)「片思い世界」(土井裕泰監督)の「ゆきてかへらぬ」の3作品で、時代や時空を越えた難役を演じ分けた。「やりたい! と思った作品に恵まれました」と充実の1年を振り返った。
-新人賞からちょうど10年です
広瀬 「海街ー」で初めて映画の世界に触れたという思いがあります。あれからたくさんの機会をいただきましたけど、あっという間の10年でした。「ゆきてかへらぬ」の撮影は、実は3年くらい前で、20代前半だったから、大正時代の女性の感性はより新鮮でしたし、背伸びする感覚がありました。
-選考会では劇中の「やさぐれ感」が評価されました
広瀬 それが正解だったかはわかりませんが(笑い)。「遠い山なみの光」も戦後間もない頃のお話でしたし、監督と演者みんなの間で最適のニュアンスを探りながら撮っていく感じでした。(共演の二階堂)ふみちゃんのお芝居がずっと好きで、本読みの時にふみちゃんのセリフを聞いていたら、導かれるように自分が演じる悦子の姿が浮かんできました。「片思い世界」は杉咲花ちゃんと清原果耶ちゃんという10代の頃にご一緒したこともある人たちとのトリプル主演で、3人で擦り合わせながら共通認識が生まれていきました。貴重な時間でしたね。
-「ゆきてかへらぬ」では文学史に名が残る詩人・中原中也と批評家・小林秀雄の間を行き来する女優・長谷川泰子を演じました
広瀬 2人の男性の色合いが比較的しっかり決まっていて、私はその間で自由にやらせていただく、という感じでした。根岸(吉太郎)監督は黙ってじっと見ていらっしゃって、違ったら、そこで違ったと指摘する。そして、時々ものすごく鋭いことをおっしゃるんです。
-中也役の木戸大聖さんとは取っ組み合いもあってビンタがリアルでした
広瀬 あれは気合を入れて1発でいきましたね。何度もやったら、それはたいへんなんで、1回でいったろ! と(笑い)。みんなに後悔のないようにやりましょうという空気があって、撮影期間は2カ月半くらいあったんですけど、濃密な現場でしたね。根岸組を味わえて本当にうれしかったです。この作品に限らず、語り継がれなきゃいけない時代を背景にしたものに巡り合った年で、そういったものが自分のターンに来たんだって。戦後80年で(助演の)「宝島」もありましたけど、素直に演じてみたいという思いがありました。
-作品それぞれの時代背景や方向性が衣装にも現れていて、その着こなしも見事でした
広瀬 いやあ、それはスタッフさんの話をうかがい、いろいろその時代を理解しながら着せていただいて。むしろ衣装に引っ張られるというか、そっちに寄せていく感じでしたね。
-新人賞からの10年は順調に見えますが、「壁」を感じたことはありますか。
広瀬 ありましたね。会話のところで、どう話してもセリフにしかならない。相手のことを見ていてもモヤッとピンが合わない。フワフワした感じになって、それを隠そうとして、演技が楽しくない。ちっちゃくなってる感じで、その頃の作品は今見られないです。
-具体的には
広瀬 「流浪の月」(22年)の頃です。そんな状態で撮影に入ったら李(相日)監督にボロカスに言われて、それが的を射ているのが自分にも分かって。なんか俯瞰(ふかん)で自分を見ている第三者的な感覚が抜けなくて。でも、吹っ切れたんですかね。自分を型にはめてその方向で悩むより、そっちをあきらめて違う方向で自分が頑張れたら。そんな風に思ったらもやが晴れたというか、楽しくなってきました。きっとフワフワしていたのは、10代の頃から出演作とか周りの人に全部まかせてきたやり方が自分に合わなくなって来たんだ、と。最近はもっと責任感を持とう、と。それが楽しくなってきた理由かもしれません。
-台本を写真に写したみたいに覚える能力をお持ちと聞きます
広瀬 台本をガン見しておくと、お芝居中にヤベッと思った時、頭をボーッとするとそのページが出てくるというか。でも、今はその能力が若干薄れてきて、本読みして音で聞くことでそれを補っている感じですかね。セリフ覚えはたぶん得意なんだと思います。覚えるだけですけど。やっぱり役として現場に立った時の(相手役との)関係性、距離感、温度感が大切です。最近になって少しずつその温度が分かるようにもなってきた気がするので、相手の方との信頼関係が何より大切だと思っています。
-デビュー間もない14歳の頃、打ち込んでいたバスケットボールの大切な試合とCM撮影が重なり、大泣きしたという逸話を聞きました
広瀬 最初バスケに影響しないから(芸能活動を)やろうと言われたんですよ。「影響してるじゃん!」って。でも、事務所に言えなくて。(同じ事務所の)姉(広瀬アリス)に「やりたくない」って伝えてもらったら「オーディションに受かったんだから」と。うそつき! って。大人になっても東京の大人なんて信用しない、と思いましたね(笑い)
-不承不承で始めた女優業にいつから本気に
広瀬 明確な時期っていうのはないんです。10代の頃は学園ものとかが多いじゃないですか。同世代の人たちと共演していたら、ずっとスポーツをやっていたこともあって、シンプルに負けず嫌いが勝手に出てきたんですね。まだ何もできないんだけど、負けたくないな、と。それで心が晴れる思いがしたら、潔く辞めよう、と。20歳になるくらいまでは、ホントにスポ根で、辞めるなんて思う前に「まず勝つ」でしたね(笑い)。そしたら本当にありがたいことに作品との出会いが続いて、あれっ、辞めどき失ったなって。運がいいんだと思います。作品との出会いも人との出会いも。ずっとそれが続いてきたので。先輩方にすてきな人がたくさんいらっしゃるので、ああなりたいな、と。【聞き手・相原斎】
◆広瀬すず(ひろせ・すず)1998年(平10)6月19日、静岡県生まれ。姉・広瀬アリスが専属モデルを務めていた雑誌のイベントで、姉の所属事務所社長から声をかけられてデビュー。「海街Diary」「ちはやふる」シリーズなどの映画の他、19年にはNHK連続テレビ小説「なつぞら」のヒロイン。14歳までバスケットボールに打ち込み、23年バスケW杯のスペシャルブースターを務めた。