<第38回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原音楽出版社協賛)>
石原裕次郎賞は作家・真藤順丈氏の2019年(平31)の直木賞受賞作を実写映画化した「宝島」が受賞した。主演のみならず宣伝アンバサダーとして作品を背負い続けた妻夫木聡(45)は「やってきたことは間違っていなかった。婚姻届を出しに行ったくらい、この世に存在が証明された思い。うれしかった」と感激した。
妻夫木は受賞を受けた取材の中で「宝島」の話にとどまらず、日本映画の今についても、熱く語った。10年「悪人」、16年「怒り」でタッグを組んだ“盟友”李相日監督(51)の「国宝」が、25年11月24日に実写日本映画興行収入(興収)記録を22年ぶりに更新し、同12月21日には181億を突破したことにも言及。「国宝」を含め、日本映画が豊作だった2025年を振り返り、2026年の日本映画に期待を寄せた。
妻夫木は、昨年5月5日東京・丸の内TOEI(同7月27日に閉館)で行われた完成報告会見の壇上で、宣伝アンバサダー就任を宣言。01年の主演映画「ウォーターボーイズ」(矢口史靖監督)公開当時、「日本映画がヒットしていなくて、回って、行った土地、土地で『応援します』と言われ(映画の広がりを)体感した。それができないかなと」と成功した自身の体験を、再現したいという狙いを口にした。
妻夫木は昨年6月7日、映画の舞台・沖縄で全国キャラバンをスタートした。その間、NHK連続テレビ小説「あんぱん」への出演、25年10月期のTBS系日曜劇場「ザ・ロイヤルファミリー」への主演と作品は続いたが、9月19日の公開初日には埼玉県所沢市を回った足で、夕方に東京・新宿バルト9で行われた初日舞台あいさつに登壇。翌20日も千葉、栃木を回り、10月2日に新宿バルト9で行われた東京キャラバンまで全国30都市、約1万5000キロを回った。
立てた誓いの言葉を、有言実行というひと言では片付けられない熱量で貫き通した。ただ、興行成績の面では、期待に遠く及ばない厳しい現実を突きつけられた。テレビCMはじめ、既存の宣伝手法も採り入れつつ、それ以上に自らの手で届けることに注力したが、結果には結び付かなかった。妻夫木は、日刊スポーツ映画大賞の選考会での議論の中で、宣伝手法に至らない面はあったのでは? との声も出たと伝えられ「僕自身も反省する部分は、確かにありました」と口にした。「僕がキャラバンをやりたいと言いだしたことだし、そうすべき作品だと判断して突っ走った。それが『宝島』を信じる、僕らの1つの答えなのかなと思った」と振り返った。
そう口にした妻夫木に「本当に大変な中、身を粉にして『宝島』を持って全国を回った。何をもって報いと言うか、分かりませんが、受賞して良かったですね」と投げかけると、うなずいた。「やっぱり…存在を認めてくれた、報われたという思いは第一にありましたよね」と口にした上で、せきを切ったように熱っぽく語り続けた。
「(25年5月の)最初の会見の時、僕は『あなたの映画です』と言ったんです。何でかというと(撮影を)やっている時は1日、1日(演じたグスクとして)ガムシャラに生きてきてばっかりで(映画が)どういう結末になるのか、想像もつかなかった。初めて見終わった時、命と思いのバトンを託された…この映画の結末って、僕たちの未来だなと思ったんですよね。ハッピーエンドになるか、バッドエンドになるかは、僕らに託されている。映画って、映画じゃ終わらないと、僕は思ったんです。だから、1人でも多くの人に本当に見て、つなげて、自分だけの宝を探して欲しい」
妻夫木は「宝島」の宣伝活動の中で「映画の力を信じている」とも口にし続けた。そのことに話を向けると「宝島」と並んでノミネートされた「フロントライン」(関根光才監督)の名を、自ら口にした。「『フロントライン』が(ノミネートに)入っているのも、当然だと思う。象徴的なコロナ禍の話で、ああいうことに向き合っていく作品を、見てくださっている観客の方がいる。(観客が)映画の力を信じてくださっていると思う」と語った。
その上で「『国宝』という映画によって、今までになかったことが起きて、新しい日本映画としてのスタートが切れているんじゃないかなと思う」と指摘。「元々、映画は一番の娯楽だったはず。娯楽がいろいろできて分散され、映画がいつしかが日の目が当たらなくなった瞬間があった。でも、00年代前半に日本映画ブームがまた来て『国宝』によって、もう1段、新たなスタートを切るなら輝かしいこと」と、日本映画の近年の歩みを自ら解説。そして「日本映画が新しいスタートを切ったと思われる、この年に『宝島』という作品で自分自身も身を置き、一緒にいられて心底、うれしいし誇らしい」と笑みを浮かべた。
妻夫木は、日刊スポーツ25年9月21日付本紙芸能面に掲載されたインタビューの中で、食事をともにする中で、脚本開発段階から李監督と互いの作品について情報交換をしていたと明かしている。
「仲が良いんで。撮影時期もほとんど一緒で、一昨年終わりから何回かご飯を食べて。『脚本、まだ上がらない』『(尺が)長くなりそう』『うちもだよ!』、撮影中も『どんな感じ?』とか鼓舞しあって」
妻夫木は「李さんは戦友のような人で『そっちは製作費、どんな感じ?』みたいな結構、濃い話までした。あっち(李監督)も書けないようなことまで、闘っていた部分は結構、あったからさ。それでも…ああやって報われているということは、僕は素直にうれしいんですよ」と自分のことのように喜んだ。
そうしてひとしきり、2025年の日本映画について語った上で、こう口にした
「映画が映画である意味が今、しっかりあるのが心底、うれしい。日本映画が、もっと、もっと発展してもいいし、発展していくんだろう…映画というものが、僕らの生活の中心に入ってくる気がする」
映画の力を信じる俳優・妻夫木聡。26年も日本映画を強烈にけん引していく中心にいるのは、間違いなく、この男だ。【村上幸将】
◆妻夫木聡(つまぶき・さとし)1980年(昭55)12月13日、福岡県生まれ。98年のフジテレビ系ドラマ「すばらしい日々」で俳優デビュー、同年公開の「なぞの転校生」で映画初出演。10年「悪人」でブルーリボン賞、日刊スポーツ映画大賞主演男優賞。日本アカデミー賞では同作と22年「ある男」で最優秀主演男優賞。16年「怒り」で最優秀助演男優賞。171センチ。血液型O。