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講談界の期待の星、田辺いちか(46)が今秋に真打ちに昇進する。通常は入門から昇進まで15年かかるところ、14年に入門してから12年でのスピード昇進。低迷していた講談界も、神田伯山(42)の人気もあって、活況を呈している。いちかに講談への思い、昇進に向けての心境を聞いた。【林尚之】
★中国で日本語教師
真打ち昇進は、師匠である田辺一邑(いちゆう)からの電話で知った。
「正直、まだ早いかなと思いました。まだ二つ目で修業をしていたかったので。でも、入門が遅かったので、年齢的にはいい時期かなと思いました」
北九州の高校を卒業後、入学した京都府立大では国文学・中国文学を学んだ。就職氷河期だった卒業間際に、大学の掲示板で見た中国の長安大の日本人募集に応募し、卒業後1年間、中国で暮らした。
「ネーティブの日本語を話せる日本語教師の募集でした。長安大学は、かつて長安と呼ばれた西安にある大学で、滞在した1年間はとても面白かった。日々の生活がダイナミックでした」
帰国後に声優学校に入学した。
「高校時代には演劇部に入っていて、役者になりたいという夢を持っていました。ただ、舞台では食べていけないと思ったので、声優学校で学んで、声優の仕事も始めました」
★語り口が魅力的で
声優として映画「オーバードライヴ」で米女優スーザン・サランドンなどの吹き替えを担当する一方、フランス演劇などの舞台に立っていた。そんな時に、いちかの人生を変える出会いがあった。
「芝居の勉強のために演劇のワークショップに参加しました。そこでみんなで台本を読み進めていく中で、妙に上手な人に出会ったんです。独特のリズム感とテンポで読んでいて、耳にスーッと入ってくる語り口がなんとも魅力的でした。終わった後に話を聞くと、講談をやっていることが分かり、それが後に師匠となる田辺一邑でした。会を見に行ったところ、衝撃を受けました。歴史ものを1人で語り、侍などさまざま人物を演じ分けている。その面白さに魅了されました。もともと、歴史が好きだった私のやりたいことがすべて詰まっている。それから2年間、講談を見に通い、声優や舞台をやめて弟子入りしました」
★低迷期脱し活況も
前座のころから注目され、「スーパー前座」とも呼ばれた。二つ目に昇進し、20年には「渋谷らくご楽しみな二つ目賞」を落語家以外では初めて受賞した。
「講談は同じ演目でも、演じる人によって、声の張り方やリズム、話のどの部分に光を当ててるかなど異なっています。好きなだけ時間をかけて、自分の責任で演じていくことが本当に楽しいんです」
講談もかつては人気を誇ったが、低迷時期が長く、唯一の講釈場だった本牧亭も35年前に閉場した、しかし、神田伯山の登場でブームが起こり、伯山の師匠神田松鯉が人間国宝になるなど、低迷を脱し活況を呈している。
「でも、落語と比べると、まだまだと思っています。講談をもっと盛り上げて、増えてきた後輩たちに夢を見せてあげたいし、いつかは講釈場を復活させることが目標です」
★年齢に抗える世界
そんないちかに弱点がある。高座とは異なり、私生活では粗忽(そこつ)な一面もある。
「マネジャーはいないので、事務的な作業や移動は1人でやっています。ただ、うっかりしてダブルブッキングしたり、張り扇が入ったかばんを置き忘れたりしたこともあります」
落語会などにゲスト出演の依頼など引っ張りだこの一方、11月から12月にかけてNHK-FM「朗読の時間」で井伏鱒二作「珍品堂主人」を朗読して好評だった。
「講談の世界に入って、すてきだなと思ったのは、70代の講談師の高座を聞いた80代のお客様が『伸び盛りだな』と言ったのを聞いたことです。年を取ると、もう終わりと思われがちですが、講談はそれにあらがえる世界。生涯をかけて講談の面白さを伝えていきたいですね」
◆田辺(たなべ)いちか 1979年(昭54)3月7日、北九州市生まれ。八幡高を経て、京都府立大文学部に入学。卒業後に上京し、舞台俳優、声優として活動。12年に講談に出会い、14年4月に田辺一邑のもとに入門。同年9月に「田辺いちか」を名乗り、前座となる。19年に二つ目に昇進し、20年に渋谷らくご楽しみな二つ目賞、22年に渋谷らくご大賞おもしろい二つ目賞を受賞した。
◆講談 江戸時代後期に、話芸として親しまれるようになった。手にした張り扇で釈台をたたき、歴史上の人物や出来事を題材にした軍記物などを調子よくメリハリある語り口で読み、多くの観客を集めた。明治時代にかけて全盛期を迎え、講談の内容をまとめた講談本がよく売れた。講談社は講談本の成功で、後に大手出版社として成長した。しかし、その後は大衆芸能の多様化などもあって衰退の道をたどり、戦後はテレビの普及などで講釈場も減少し、90年には唯一残っていた上野の本牧亭も閉場した。一時は講談師の数も20人台までに激減したが、女性講談師の台頭や、二つ目時代からブームを巻き起こした伯山の登場もあって、復活の兆しが見えている。
■東京は協会2つ 大阪には3団体
東京にある講談の協会は、講談協会と日本講談協会の2つ。講談協会は講談組合、東京講談会などの団体が統一して1980年に発足。初代会長に5代目宝井馬琴が就任した。しかし、91年に2代目神田山陽一門が脱退し、日本講談協会を設立。山陽が会長となった。
現在の講談協会は宝井琴調を会長に、最高顧問の宝井琴梅など53人が所属。新宿永谷ホール、荒木町舞台「津の守」などで公演を行っている。日本講談協会は神田紅を会長に、最高顧問の人間国宝の神田松鯉、その弟子の神田伯山など28人が所属。上野広小路亭、新宿永谷ホールで公演を行っている。講談師は両協会合わせて81人だが、そのうち女性講談師は46人で、女性の方が多くなっている。
また、大阪には3つの講談の団体がある。79年に上方講談協会が創設されたが、03年に内紛が起こり、除名された旭堂南陵を中心に大阪講談協会が設立された。さらに17年には旭堂南鱗らが上方講談協会を離脱し、なみはや講談協会を設立した。現在の上方講談協会は旭堂南左衛門を会長に名古屋支部を含めて20人、大阪講談協会は会長不在で11人、なみはや講談協会は旭堂南華を会長に7人が所属している。