音楽評論家で作詞家の湯川れい子氏(90)が26日までにX(旧ツイッター)を更新。戦争への思いを記し、自身の体験や記憶についても連続投稿でつづった。
発端は21日の投稿。湯川氏は「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません。名もない若く美しい青年たちや、その子を産み、一生懸命に育てたお母さんやお父さんたちが、何ひとつ抵抗出来ずに、運命が命ずるままの悲劇に翻弄されて、ささやかな日常の幸福や命を手放して行くのです」と思いを記した。
その後、湯川氏が戦争を体験していないのでは、との疑問の声が寄せられると、反論する形で説明。「私が戦争を経験していない?寝ぼけたことを言わないで下さい」と返した上で「私の18歳上の大好きだった長兄は、徴兵されてフィリピンで戦死。次兄は神風特攻隊の生き残りで、戦後は『戦争を体験した人間にしか戦争は止められない』と、母や私の猛反対を押し切って自衛官に。千葉や三沢の司令官でした。父は海軍の軍人で、終戦の年、1945年の4月に作戦本部で戦病死。私は嫌と言うほど戦争を体験していますし、フィリピンまで戦死した兄の遺骨を探しに行っています」と明かした。
さらに、一部フォロワーの疑問にも答える形で「私は8歳の時に、疎開していた山形の米沢市で、昼間、道を歩いていた時に突然、空襲警報が鳴り響いて、見上げたら頭上にアメリカのB29が一機。急に高度を下げて、操縦桿を握る兵士のブルーの眼が見えたように思える距離まで降下。機銃掃射を受けて、塀の蔭に隠れたことがありました。それも戦争体験としては、ずっと悪夢として記憶して来たものですが、これだけでも充分です」と紹介。湯川氏の投稿に対して寄せられた心ない声については「想像力の欠如は愚かで怖いですね。だから歴史は繰り返すのでしょう」と警鐘を鳴らした。
一方で「B29」による機銃掃射について、フォロワーからは別の飛行機だったのでは、との声も。これに対し、湯川氏は「多分、あの頃はみんな飛んで来る米軍の飛行機を、爆弾を落とすのも、機銃掃射をするのも、全てB29と言っていたように記憶しています」と当時の状況を投稿。「では、米軍機が低空飛行をして来て機銃掃射をした、と言い直しましょう。それでよろしいでしょうか」「男の人はみんな戦争に駆り出されていて、身近に大人の男性はまったく居ませんでした。母や姉などは艦載機もB29も解っていなかったのだろうと思います。田舎の空まで飛んで来る米軍機は、どれもB29だと思っていましたよ」などとつづった。
また、当時を思い出す記憶力を問われた湯川氏は「それはまだあまり落ちていないように思います。今もラジオの生放送で、外国のアーティスト名。グループの中のメンバーの個人名などを言ったりしていますから」と強調した。