吉永小百合「いつも怒られてた」半世紀“盟友“樹木希林さんからもらった“本当の宝物“/連載3

唯一無二の変わらぬ気品と透明感を放つ吉永小百合(撮影・中島郁夫)

吉永小百合(80)が、日刊スポーツ80周年を記念し、取材に応じた。1959年(昭34)に「朝を呼ぶ口笛」(生駒千里監督)で映画デビューし、翌60年に日活に入社。以後、昨年の124本目の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督)まで、日刊スポーツの歴代の映画担当、番記者の取材を昭和、平成、令和と3つの時代にわたって受け続けてきた。日刊スポーツに残っていた思い出の記事をひもとき、忘れられない記者など、デビューからともに歩んできた歴史を振り返った。

3月6日付紙面に掲載されたワイド企画では触れなかった話題から、5つのテーマに分けて5回連載でお届けする。3回目は、吉永が20代から親交を深め、18年9月に75歳で亡くなった“盟友”樹木希林さんとの思い出を語る。【村上幸将】

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吉永は、昨年で38回を数えた日刊スポーツ映画大賞で、88年の第1回、00年の第13回、12年の第25回と最多3度、主演女優賞を受賞している。「出演する者にとって賞があるのはうれしいことです」と、賞の継続を強く望んだ。

日刊スポーツ映画大賞の思い出を語る中で、吉永の口から自然と樹木さんの名前が出てきた。「北のカナリアたち」(阪本順治監督)で主演女優賞を受賞した12年は、樹木さんも「わが母の記」(原田眞人監督)と「ツナグ」(平川雄一朗監督)で、助演女優賞を受賞。授賞式が開かれた東京・ホテルニューオータニでは、円卓に並んで座り、受賞者の記念撮影でも一緒に登壇した。

「本当は、樹木希林さんと、一緒にやりたいね、という話をずいぶんしていたんですよ。彼女が亡くなって、それができなくなったというのも、とても残念で」

出会いは、樹木さんが悠木千帆の芸名で活動していた、20代半ばのころにさかのぼる。

「悠木千帆の時…25歳くらいの時から、テレビではご一緒していました。その頃は、映画がテレビに押されて、つらくなっている時で、私もテレビのホームドラマに出て、森光子さんと樹木さんとご一緒だったんですね。テレビのドラマになじめなくて、何て言うのかしら…みんなの中に、なかなか入っていけないようなことがあったんです。『それは、ダメよ』と怒られて、なじむようになって(81年のNHKドラマ)『夢千代日記』でご一緒して、だんだん分かり合えるようになりました」

88年の主演映画「つる-鶴-」(市川崑監督)でも共演し、野田秀樹(70)を交えて、さらに親交を深めた。

「『つる-鶴-』という作品は、野田秀樹さんと希林さんと3人でやりました。3人で、いつもお昼休みにご飯を食べたり。その後も希林さんのご家族…也哉ちゃん(1人娘の内田也哉子)が、まだまだ本当にちいちゃい時ですけど、野田さんの家族と、私の夫(岡田太郎さん)と、ご飯を食べに行くことが結構、あったんですね。そういう思い出も、いっぱいあるし」

07年の著書「夢の続き」(世界文化社)に、樹木さんとの対談が掲載されている。その中で、樹木さんから「小百合さんは納得して子をつくらなかったんですからね」と指摘されたくだりがある。プロデューサーに初挑戦した14年の主演映画「ふしぎな岬の物語」(成島出監督)公開時に、「吉永小百合ウイーク」と題して、日刊スポーツで1週間、企画連載が展開された。5回連載「吉永小百合~人生航路」第3回のテーマは、1人の女性としての人生。具体的には「子供を産まない選択」をした理由を語る内容だった。その中でも、樹木さんを絡めて自身の思いを語っている。

「子供を産んで育てていたら、パーフェクトですけどね。子供がいないことだけは死ぬ時にそれだけ、少し残念だったと思うかも知れない。でも私は、そこまでパワーがなかった。うらやましいのは(07年の)映画『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』で、樹木希林さんの若い時代を、娘の也哉子さんが演技されたこと。いいですね。誰が見ても違和感がない。(自分は)ああいうことはできないわけですから」

吉永は80周年企画の取材の中で、124本目の映画となった「てっぺんの向こうにあなたがいる」で自身が演じた主人公・多部純子の青年期を、のん(32)が演じたことを引き合いに、樹木さんとのやりとりを明かした。

「今回、のんさんが(純子の青年期を)やってくださったけれども、希林さんは『東京タワー-』に、お嬢さんの也哉ちゃんが出られて。いいねぇと言ったら『あんた、自分が子供を持たなかったんだから、しょうがないじゃないの』と怒られて…いつも怒られていました(笑い)」

樹木さんの俳優としての表現力の高さは、今でも尊敬してやまない。

「(ハンセン病患者を演じた15年の主演映画)『あん』(河瀨直美監督)は、すごかったですよね。私は、ハンセン病患者の方たちのところに何度か行って朗読したり、患者の方たちが作った詩も読んだりしていたんですよね。関わりはあったんですけど、希林さんの『あん』中の表現力は圧倒的で、すばらしかったですね」(つづく)

◆樹木希林(きき・きりん)本名・内田啓子(うちだ・けいこ)。1943年(昭18)1月15日、東京都生まれ。千代田女子学園高卒業後の61年に文学座研究生になり、悠木千帆の芸名でデビュー。64年のTBS系ドラマ「七人の孫」で演じた東北弁のお手伝い、おとしさんで注目され、同系「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などに出演。フジカラーのCM「写ルンです」でのコミカルな演技が話題になりCMでも活躍。65年に俳優の故岸田森さんと結婚したが4年後に離婚。73年には内田裕也さんと再婚。77年には、黒柳徹子が司会を務めた番組内のオークション企画に悠木千帆の芸名を出品して2万2000円で売却し、芸名を樹木希林に改めた。78年にはTBS系ドラマ「ムー一族」の劇中歌として、郷ひろみ(70)とデュエットした「林檎殺人事件」が大ヒット。映画では、08年「歩いても歩いても」、13年「そして父になる」、15年「海街diary」、16年「海よりもまだ深く」、18年「万引き家族」など晩年は是枝裕和監督作品の常連に。08年に紫綬褒章、14年には旭日小綬章受章。

【連載まとめ】吉永小百合5つのテーマ 昭和、平成、令和、3つの時代を歩んできた歴史