吉永小百合(80)が、日刊スポーツ80周年を記念し、取材に応じた。1959年(昭34)に「朝を呼ぶ口笛」(生駒千里監督)で映画デビューし、翌60年に日活に入社。以後、昨年の124本目の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督)まで、日刊スポーツの歴代の映画担当、番記者の取材を昭和、平成、令和と3つの時代にわたって受け続けてきた。日刊スポーツに残っていた思い出の記事をひもとき、忘れられない記者など、デビューからともに歩んできた歴史を振り返った。
3月6日付紙面に掲載されたワイド企画では触れなかった話題から、5つのテーマに分けて5回連載でお届けする。1回目は「マヒナと堂々渡り合う 吉永小百合が初吹き込み」との見出しがついた、62年2月18日付紙面、そして「歌手も顔負けの吉永小百合 清潔、素直な歌に人気」との見出しがついた、同11月13日付紙面に掲載された2つの記事を元に、“歌手・吉永小百合誕生”に沸いた当時の映画界を振り返る。【村上幸将】
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62年2月18日付紙面に掲載された記事は「日活スター吉永小百合が、十七日午後六時から築地の日本ビクター・スタジオで初のレコード吹き込みを行った。」から始まっている。当時、所属した日活の同年6月公開の映画「寒い朝」(西河克己監督)の、同名主題歌のレコーディングを取材したものだ。同曲は、吉永が日本を代表するムード歌謡グループ「和田弘とマヒナスターズ」とタッグを組んだ。作詞は佐伯孝夫さん、作曲は死後の98年に国民栄誉賞を受賞した作曲家・吉田正さんが手がけた。
記事には、吉永が吉田さんの都内の自宅に4日間、通い続けてレッスンを受けたことも記されている。「映画スターとしては最もみっちりレッスンした」との、吉田さんのコメントも掲載された。
吉永は、記事に目を通した早々「マヒナと堂々渡り合う」との見出しに、思わず笑った。
「堂々というのでは、ないんですよ。素晴らしい方たちで、本当にサポートしていただいて。私がうまく歌えなくても、吉田正先生が『小百合ちゃんは、いいんだよ、元気が良ければ』と言っていただいて」
当時、アクション路線だった日活は、男優は主演映画の主題歌を歌っていたが、女優が主題歌を歌うことは、なかったという。
「男優さんは石原裕次郎さんでも、小林旭さんでも、必ず主題歌があったんですけど、女優の場合はなかった。じゃあ、それをやりましょう、ということになって、吉田正先生のところにお願いに行って」
「寒い朝」がデビューシングルだが、実はそれ以前に歌唱した曲が1曲あると明かした。
「最初『草を刈る娘』(西川克己監督、61年)という映画で、私が歌った主題歌が入ったんですよ。ただ、吉田先生が『最初に、レコードをリリースするのは、それでは弱い』と。それで『寒い朝』の主題歌が、最初のレコードのリリースになりました」
作家・石坂洋次郎の同名小説を映画化した「寒い朝」だったが、公開が6月10日で季節に合わないということでタイトルが変更された。ただ、主題歌の方はタイトルを変えずに、そのままリリースされた。
「ちょうど6月の公開だったから(タイトルと公開)時期が、ちょっと合わないよ、ということで『赤い蕾と白い花』にタイトルは変わってしまった。ただ、映画も歌もヒットしたので、良かったですかね」
「寒い朝」は、50万枚以上を売り上げる大ヒットを記録し、吉永は同年大みそかの第13回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。赤組司会の森光子さんとは、ドラマなどで共演していくことになる。
62年11月13日付紙面に掲載された記事は、同12日にビクタースタジオで映画の主題歌「虹子の夢」と「泥だらけの純情」をレコーディングしたことを報じている。同年9月20日にリリースした、橋幸夫さんとのデュエット曲「いつでも夢を」が、11月10日までの50日間で25万枚とヒットし「歌手吉永がここで急にクローズアップされてきたわけだ」。吉永は記事の中で「子供のときから童謡を歌ったりして、歌は大好きです。芝居と同様歌もむずかしい。どっちも無限のものですから。歌はずっと続けます。ミュージカル? でもわたしって踊りは苦手だから……」と語っている。両曲は「明年正月の初荷レコードして発売される」としており、翌63年1月にリリースされた。A面が「虹子の夢」、B面が「泥だらけの純情」だった。
吉田さんは「ぼくのところにきはじめてからもう一年半、この間実に熱心だった。お母さんピアノを教えているという環境から音楽に対してまじめなのだ。内職の音楽という概念がない」と、吉永が女優業のかたわらで音楽をやる、というのではなく、真剣に音楽に向き合っていると絶賛。「いまぼくのデシの中でも、最も教えをよく聞く方だ。歌は自分を素直に出すのがいい」と手放しで褒めている。日活の石神宣伝部長も「『いつでも夢を』はちょうど裕次郎が『嵐を呼ぶ男』で爆発的な人気を得たのと同じような形となる予感がする。これからの作品にはすべて彼女の歌を入れる」と断言している。
ただ「泥だらけの純情」は主演映画として、レコードのリリース翌月の63年2月10日に公開されたが、「虹子の夢」は「交換日記」とタイトルを変え、主演は吉永ではなく当時、日活の青春スターと並び称された後輩の和泉雅子さんと山内賢さんが主演。吉永の歌った「虹子の夢」はタイトルはそのままで、主題歌として採用された。(つづく)
◆吉田正(よしだ・ただし)1921年(大10)1月20日、茨城県日立市生まれ。日立工専卒。42年に召集され、旧満州(現中国東北部)へ。第2次大戦後、シベリアに抑留され、その間に作った「異国の丘」で作曲家の道へ。48年に帰国し、ビクターに専属作曲家として迎えられる。「街のサンドイッチマン」「哀愁の街に霧が降る」などをヒットさせ、57年にフランク永井さんが歌った「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで一世を風靡(ふうび)した。作曲数は2400曲以上で、和田弘とマヒナ・スターズ、松尾和子さん、橋幸夫さん、三田明(78)らにヒット曲を提供。都会的ムード歌謡、青春歌謡まで幅広く、哀感漂う「吉田メロディー」で大衆の共感を呼んだ。「誰よりも君を愛す」「いつでも夢を」で日本レコード大賞を2度受け、82年に紫綬褒章。93年5月から97年12月まで日本作曲家協会会長を務め、その後名誉会長。日本音楽著作権協会会長も務めた。98年6月10日に77歳で死去。