全盲のシンガー佐藤ひらり「誰かのために歌いたい」震災チャリティー公演を開催

チャリティーコンサートを行った佐藤ひらり

生まれつき全盲のシンガー・ソングライター佐藤ひらり(24)が11日、東京・品川区の春雨寺夢ホールで、東日本大震災からの復興を願うチャリティーコンサートを行った。

約80年前、原爆投下時に被爆したピアノを広島から運び、震災で津波を被った「奇跡の一本松」の木片を用いたバイオリンとコラボレーションをした。

公演前に取材に応じた。【松本久】

  ◇  ◇  ◇  

-今日3月11日は東日本大震災の発生から15年です。今日、この日にチャリティーコンサートを開催する思いを教えてください

震災が起きたのは小学校3年生が終わるぐらいの時でした。それからは避難所や被災地に行かせてもらって歌ってきました。昨年12月、都内で「平和のコンサート」を開催して、そこで“被爆ピアノ”を弾いた時から、3月11日に「平和と災害からの復興を願うコンサートをしたい」という思いが強まってきました。今回は、私のピアノと歌だけでなく、岩手県陸前高田の“津波バイオリン”と一緒に音を奏でられることは、本当に意味のあることだと思います。

-震災をきっかけに初めて作詞作曲したCD「みらい」を自費制作。売り上げから100万円を震災遺児のために寄付をしました。振り返っていかがですか

あの時は、想像もつかないくらい大変な状況がテレビやラジオから聞こえてきました。自分に何かできることがないかと思って作文を書くようにして歌詞を書き進めて、そこからワンフレーズができるごとに避難所などで歌っていって1枚のCDができました。それからは東北など多くの場所に行かせてもらえるようになったので、私にとっては本当に大きなターニングポイントです。そして、子供の時から「誰かのために」と思い、歌を続けてきた私が24歳の大人になってもこうやって歌を続けていられる。本当にありがたいことだと思っています。

-故郷・新潟県三条市にあった避難所で歌っている時に何度も温かい拍手をあびて、笑顔になる人たちを見て「歌い続けたい」という思いを強く持った?

はい。まだ「みらい」を作る前に「アメイジング・グレイス」を歌った時に「ありがとう」と言って、次の曲にいこうと思ってもずっと思いを伝えてくれるおじいちゃんがいました。東北では「みらい」を歌った時に、家族や大事な人を亡くした方が「自分だけ生き残っていいのかなと思ったけど、この歌を聞いてもう少し生きていこうと思った」っていう言葉を言ってもらえて本当にうれしかった。そういう言葉をいただいたおかげで、私は笑顔になってほしいと思って歌ってきました。でも実は私自身が笑顔や勇気をもらってきたのだと思います。

-国連合唱団が10月に来日して平和コンサートを開催します。その「国連合唱団平和コンサートのための『音楽による平和宣言』の親善大使」に就任しました

大切なお役目をいただきました。子供の時から歌を作り続け、歌い続けてきた私ですが、今度は未来のいろんな世界の子どもたちや、子どもと一緒にいる大人の皆さんのために平和を願いながら、海外にも音楽を届けていきたいと思います。そして今年の目標は自分の殻や概念を破ることです。

21年8月開催の「東京2020パラリンピック」開会式で「君が代」を独唱。世界の隅々にまで美声を届けた佐藤の夢は「歌で恩返しをする」ことと「憧れのスティービー・ワンダー」と共演すること。夢に向かって1歩ずつ歩み続けている。