タレント松本明子(60)が4月2日に左足関節脱臼骨折で入院、同8日に還暦、60歳の誕生日を迎えた。
ボルト12本を埋め込む重傷も、同17日に退院して、松葉づえをついて復帰した。めでたいんだか、どうだかよく分からない、祝! 骨折還暦退院記念インタビュー。あの大事件も含めて、その軌跡をじっくりと2回にわたって振り返ってもらった後編。【小谷野俊哉】
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1984年(昭59)4月1日、ニッポン放送「オールナイトニッポン」とフジテレビ「オールナイトフジ」の二元中継の生放送中に鶴光と片岡鶴太郎(71)にそそのかされて「オ○○コ」と禁断の4文字を叫んでしまった。謹慎処分を受けて、仕事がないから、高校へ毎日通えた。仕事に行ったふりをして、駅のベンチで泣いていたこともあった。その姿を見ていたのが、渡辺プロダクションの後輩の中山秀征(58)だった。
「秀ちゃんが『姉さん、居心地悪いでしょうから、僕のいるバラエティー班に移って一緒にバラエティー番組頑張りましょうよ』って声をかけてくれた。いつか一緒にレギュラーやりたいね、と。それでバラエティーを始めました」
盟友の中山とは、その後の91年から00年まで日本テレビの深夜バラエティー「DAISUKI!」で女優飯島直子(58)と共に共演した。
89年4月から7年間、ニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」で放送作家高田文夫氏(77)のアシスタントを務めた。12年1月に復帰して、今も続いている。
「私も22歳から23歳になるところでした。そして、謹慎後の初の生放送ですね。最初は松本典子ちゃんを高田先生は発注してたらしいんですけど。ただ、ニッポン放送の人が勘違いしたらしく、私が座っていたという(笑い)。始まった時は週に5日間でしたが、今は月曜のアシスタント。高田先生には礼儀から漢字、いろいろなことを教えていただきました」
92年4月から始まったテレビ東京系バラエティー「TVチャンピオン」シリーズでは、16年半にわたってMCを務めた。
「17歳になる時に上京して、10年近くたって、やっと親孝行ができると思えました」
そして、92年7月に始まった日本テレビ「進め!電波少年」シリーズでは03年1月まで司会を務めた。コンビを組んだのは松村邦洋(58)。
「まっちゃんは天然で、私は母親みたいなもんでしたね(笑い)。今はものまねだけじゃなく、歴史とか大河ドラマとかも、ちゃんと立派に仕事をしている」
松本も身体を張った。94年の大みそかのNHK紅白歌合戦には、エンディングに突撃して「蛍の光」の合唱団に紛れ込んで「紅白もらった」という垂れ幕を掲げた。
「スタッフは入場を禁止されていて、安全な駐車場で待っていました。隠しマイクの音声だけ生きてる状態で、生放送をやっているNHKホールの楽屋口に1人で侵入しまして。午後11時30分ぐらいに、コーラス隊がスタジオに移動してるところに白いブラウスに黒いスカートでエンディングでまぎれ込みました。『ホタルの光』の大合唱に向けて、出演者が勢ぞろいしてるなかで、初めにSMAPのメンバーたちが振り返って『なんで松本がいるんだ』っていう、ザワザワと騒ぎが広がって。でも生放送は続いて『蛍の光』が始まる。それで『紅白もらった』の垂れ幕を掲げました。あとはADさんのバイクに後ろにヘルメットをかぶって乗って、そのまま逃げました」
95年にはパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長にアポなしで対面。チェリッシュのヒット曲「てんとう虫のサンバ」の歌詞の<歌詞>あなた~と私が~のダジャレで<歌詞>アラファ~と私が~と歌ってハグをした。
「イスラエルのテルアビブからパレスチナのガザ地区まで行きました。国境を渡って、機関銃を突きつけられましたからね、ひどい番組でした(笑い)」
98年に結婚した俳優本宮泰風(54)と知り合ったのは、96年にその兄の原田龍二(55)とドラマ共演したのがきっかけだった。
「本宮がドラマのロケ先に陣中見舞いに来たんです。それでロケ終わりにみんなで、ご飯でも行きましょうかってなったんです。でも、原田さんも他の人も次の仕事があって、私と本宮だけが残っちゃったんです。初めて会って渋谷とかのお店に2人で行く感じでもなくて『じゃあ、実家来ますか』と。四国から両親が上京して、親子3人で住んでました。そこに本宮を呼んで一緒にご飯を食べて。で、この後に『じゃあ、今度は僕の実家に来ませんか』と、その日のうちに埼玉にあった本宮の実家に行きまして。お父さま、お母さまと、本宮も俳優をやりながら家族3人で家庭的な飲食の店をやってまして。みんなでカラオケやってました。双方の親も『親元に連れて来るんだから、お付き合いしてんのかな』みたいに思ってたみたいです」
そこから1年半後、98年3月に結婚。当時は「松本明子が、原田龍二の弟の6歳も若い本宮泰風という俳優と結婚した」と報じられた。00年には長男も誕生した。
「お付き合いしましょうとか、結婚しましょうとか言った覚えもないし、言われた覚えもないけれども、なんとなく流れでみたいな感じでしたね。その頃に『DAISUKI!』で共演していた飯島直子ちゃんと中山秀ちゃんが30歳をすぎて結婚して、私も焦りが出始めた時期で『次に出会った人と結婚しよう、とにかく子供も欲しい』というような妄想がどんどん膨れていた三十路(みそじ)の女でした」
結婚した頃は無名の若手俳優だった夫の本宮も、現在では人気オリジナルビデオシリーズ「日本統一」の主演にして、総合プロデューサーとして、脚本作りから関わっている。
「いつも膨大な資料に囲まれて、台本作りからキャスティング、スタッフのケア、ロケハンまで全てやってるんでね。ほとんど私が寝てから帰って来て、私が起きる前に撮影に行くみたいな感じですよね。忙しいと思いますよね」
骨折もした、還暦になった、退院をして松葉づえが取れるまで3カ月。
「とにかくここまでやってこられたのは、周りの皆さんのおかげです。還暦ということで、不作のアイドル同期組で、東京・北千住のシアター1010で『83年組アイドルアラ!?還ライブ』を2回公演でやります。その時が多分、松葉づえが外れて本当の完全復帰になると思います。みんなでデビュー当時の衣装を着て、デビュー曲を歌ってみたいですね。みんな、仲良しですから。還暦アイドルで売れたいですね」
今月21日は43回目のデビュー記念日。まだまだ、現在進行形だ。(終わり)
◆松本明子(まつもと・あきこ)1966年(昭41)4月8日、香川・高松市生まれ。82年日本テレビ「スター誕生」でスカウトされ、83年「♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)」でアイドル歌手デビューも不発。89年にニッポン放送「文夫と明子のラジオビバリー昼ズ」、91年日本テレビ「DAISUKI!」、92年テレビ東京「TVチャンピオン」、日本テレビ「進め!電波少年」のレギュラーに。98年に俳優の本宮泰風と結婚。152センチ。血液型A。
「進め!電波少年」のプロデューサーだった土屋敏男氏(69) 元々、「電波少年」は3カ月の予定の“穴埋め番組”でした。会社の上から「3カ月だけだから。ついては、それぞれの事務所から松村邦洋と松本明子を頼まれているからよろしく」と(笑い)。彼女とは、それまで全然付き合いがなかったのですが、すぐに「アッコとやれたのが成功の理由」だと分かった。彼女はロケに行っても、相手の懐に入るのが抜群にうまい。脚本家のジェームス三木さんと奥さんがもめた時も、両方の懐を行ったり、来たりしていて「手のひら返し」という名フレーズになった。PLOのアラファト議長に会いに行けたのも、国際的な懐に入るうまさ。紅白の合唱団に紛れ込めたのも、相手に「しょうがないな」と思わせる天性の懐に入るうまさとたくましさがあるから。番組が終わって、20年以上たつけど今でも活躍している。「電波少年」が放送しているうちに結婚して、出産して、戻ってきた。いろいろなスターが生まれた番組だけど、やり切ったのは彼女だけですね。