デビュー40周年・中村美律子の人生は万歳~元気で行きましょう!

「みなさんに元気を届けたいです」と語る中村美律子(撮影・中島郁夫)

デビュー40周年を迎えている歌手中村美律子(75)が5月27日に記念曲「人生万歳/道しるべ」を発売する。人生の応援歌と王道演歌の組み合わせに「40周年を飾る作品としてパーフェクト」と言い切る自信作だ。記念コンサートは6月に大阪、10月に東京での開催が決まっている。モットーは「いつも笑顔でいること」。節目の年、全国に自慢の歌声と笑顔を届ける。【取材・構成=松本久】

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「人生万歳」(作詞・久仁京介、作曲・徳久広司)は、喜びや悔しさを重ねてきたこれまでの歩みと周囲への感謝を描いた作品だ。歌い出しから「万歳~ 人生万歳~ 元気で 行きましょう♫」。中村のリズミカルな歌声が景気よく響き渡る。振り付けには手話の「元気」や「走る」ポーズもあり、聞いて、見て、ダブルで楽しめる。

中村 間奏がないんです。だから踊りながら歌うと結構しんどい(笑い)。歌詞には親に教えてもらったことや支えてくれる人への感謝の気持ちなど私の思いがちゃんと詰まっているんです。3分ちょっとの歌ですが「今までの私の人生はこうでした。これからも頑張ります」というのがすべて盛り込まれています。

ファンが歌唱する際のアドバイスを求めると「そんなものはない」と即答だった。

中村 リズムに乗って楽しく歌ったら、もうそれだけで完璧。上手に歌おうなんて思わずに、みんなと一緒にバンザ~イとやれたらそれだけでいいんです。年齢を重ねて「こんなこともできなくなったのか」と思った時には、この曲で「そんなこと言っていないで前を向いて頑張ろう」と思ってもらえたらうれしいです。

カップリング曲「道しるべ」も同じく“久仁&徳久コンビ”が手がけた。「おまえの笑顔が 道しるべ」と妻に感謝する夫の思いを描いた王道演歌だ。

中村 これまでいろいろなことがあったけど、やっぱりお前がいてくれて良かった。そういう曲です。「人生万歳」と「道しるべ」。40周年という節目の作品の組み合わせとしてパーフェクト。実は演歌というのはもうダメになっちゃうんじゃないかなという思いがあったんです。さまざまな歌詞やメロディーが世の中に出尽くしているし、CDショップもどんどんなくなっている。でも、この2つを聞いたら「いや、まだまだいけるぞ」という気持ちになれました。

自信に満ちた笑顔で話した。

子どもころから歌が大好きだった。中学生になるとアルバイトで「河内音頭」を歌い、高校時代には「初音家みつ子」の名前で河内音頭の音頭取り(歌い手)として人気者に。その後も地元の大阪を中心に歌手活動を続けた。「恋の肥後つばき」でメジャーデビューをしたのは1986年。36歳の遅咲きだった。

中村 本当に遅すぎますよね。当時の事務所も私も「ダメモトでいいじゃないか」というところからスタートしたんです。

デビュー後も鳴かず飛ばずだったが、89年に発売した3作目の「河内おとこ節」が転機になる。半年で大阪を中心に8万枚も売れた。

中村 あのころ、NHKのど自慢の予選で「河内-」を歌う人がいっぱい出てきて「曲は知っている。でも歌っている人は知らない」とよく言われました。東京のテレビに出ていないから(知名度が)一気に全国区にならなかったんです。

続けて発売した「大阪情話」「しあわせ酒」「瞼の母」もヒット。92年に紅白歌合戦に初出場したことで「中村美律子」の名前と顔が全国に知れ渡った。すると“みっちゃんブーム”が日本の音楽シーンを牽引(けんいん)する。95年に大阪・新歌舞伎座、98年には東京・新宿コマ劇場で1カ月公演の動員記録を塗り替えた。01年には演歌で初の大阪ドーム公演を成功させる。97年の「人生桜」と08年の「女の旅路」で日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を2度受賞。紅白は15回出場している。

中村 いやいや、私なんてただの河内のおばちゃんですよ。紅白歌合戦も、出られるわけなんてないと思っていたのに出られた。あの時は天にも昇る気持ちでした。それから今日まで多くの人に評価していただいて感謝しかありません。本当に幸せ者です。

数々の実績を重ね、“演歌界の重鎮”と呼ばれるようになっても謙虚さと笑顔を決して失わない。モットーは「いつも笑顔でいること」。これはある反省から心に決めた。

中村 「河内-」を発売した後にファンクラブができました。みんなが集まる時には必ずツーショット写真を撮るんです。ある時に「この人とはいい顔をして撮っているのに、この人の時はこんな顔をしていたのか。かわいそうなことをしてしまった」ということがあったんです。本当に申し訳なくてショックでした。だって、誰にでも同じように接しないとおかしいでしょ。

ここから“笑顔がトレードマークのみっちゃん”が定着していく。

中村 それに笑っている方が若々しい。笑顔でいると、明るく、元気で、美しく見えますから。

40周年記念コンサートを6月16日に大阪・フェスティバルホール、10月14日に東京・浅草公会堂で開催する。大阪公演の目玉は中村の真骨頂である長編歌謡浪曲「瞼の母」(19分)「桂春団治」(15分)「無法松の恋」(21分)の3題を一挙に歌唱すること。これだけで1時間だ。

中村 事務所(ゴールデンミュージック)の社長から「歌謡浪曲を3つやりませんか」と言われたから「やります」と答えたんです。すごく体力がいるし、やりきれるかどうかはやってみないと分からない。でも3題も一挙にやるのは他の人にはできない。そして、私にできるのは今回が最後かもしれない。だから何があっても命懸けで、魂を込めて、突っ走るしかない。そう思っています。

健康維持で心がけているのは「よく食べ、よく寝ること」。週に1、2回のジム通いは欠かさない。5キロの重りを2つ、計10キロをベンチプレスで上げている。

中村 5歳になった孫をおんぶしてスクワットもしています。体重が17キロもある。何度もできませんけどね。

夢も聞いた。

中村 大きなことは望んでいません。今年の40周年をやりきれたら、あとは好きな歌をいつまでも歌い続けたい。そしてファンの皆さんにも元気でいてもらいたい。だから頑張ります。それしかない。

デビューして40年。中村ならではの力強い歌唱でファンの胸を熱くし、時にはたっぷりの情感で泣かせてきた。それは今も変わらない。そしてこれからもファンに寄り添って歌い続ける。

○…紅白初出場をきっかけに、ファンへの「恩返し」として盲導犬育成支援を94年にスタートした。チャリティー公演の売上金や募金などを育成金として寄付。現在、43頭になった。「今年秋にも2頭を予定しています。目標は50頭。以前は団体に直接育成金を渡していたのですが、最近は自治体を通しています」。

05年には活動が認められて「第8回まちかどのフィランソロピスト賞」を受賞している。

◆中村美律子(なかむら・みつこ)1950年(昭25)7月31日、大阪府東大阪市生まれ。83年、浪曲師の春野百合子に弟子入り。86年に「恋の肥後つばき」でデビューし、89年に「河内おとこ節」が大ヒット。92年に紅白歌合戦に初出場し計15回出場。「島田のブンブン」「女の旅路」などヒット曲多数。97年と08年に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を2度受賞。20年に文化庁長官表彰。血液型B。