立川志らくが師匠談志を「大嫌いでした。こいつ落語できるのかな…」生島ラジオで回想

生島ヒロシ(左)と立川志らく

落語家立川志らく(62)が24日、生島ヒロシ(75)がパーソナリティーを務める文化放送「生島ヒロシの日曜9時ですよ~」(日曜午前9時)にゲスト出演した。

生島はコンプライアンス違反で1年2カ月間の活動休止を経て、今年4月に復帰。「復帰の際には、ずいぶんいろいろと、いじってくださって」と言うと、志らくは「高座で、枕で生島さんの名前を出すとウケるんですよ。ギャグで『そんなヒロシにだまされて』って『いったい、誰にだまされたんですか、ご隠居さん』『生島ヒロシに決まってんだろ』って。どーんと」と笑った。

生島は「志らく師匠も、つぶやいて炎上したりとか。今回、僕もSNSの嵐ででボコボコにされました」。志らくは「SNSのいいところもあるけど、人をたたきすぎですね。芸能界の人、こちらに非があるにせよ、聖人君子じゃないんdすよ。どこかダメなやつが集まっているんです、芸能界って」と自虐しながら「知らない人がよってたかってたたいて、みんな、自分がスッキリするだけなんです。だから他にターゲットが見つかったら、すぐそっちにいっちゃう」と分析した。

テレビのコメンテーターを務めることの多い志らくだが「あまりウソをつきたくないという思いがある」と説明。右派、左派、保守、リベラルの論争の中で、一部の人に「ちょっとでも自分と意見が違うと、人間性まで否定してくる」と指摘。生島は「人間は多面体ですから。右寄りの部分もあれば、ここは左寄りの部分もあったりで、一色で決めて欲しくないですよね」と応じた。

志らくは日大芸術学部4年の1985年(昭60)に落語研究会OBの放送作家高田文夫氏(77)の紹介で7代目立川談志に入門。「落語が好きだったけど、映画も好きで。役者になりたいな、って日大芸術学部に入ったけど、10代目金原亭馬生師匠が大好きで、死ぬ10日前の落語を聞いて、この人の弟子になろうと思ったら、お亡くなりになって」と振り返った。

「葬式に行って、帰りに寄席に入ったら談志が出てきた。当時、談志が大嫌いだった。『こいつ落語なんかできるのかな』と、今の視聴者が私に思っていることと同じことを考えていた。落語やってるのを見たことがないぞ、って。でも、そこの談志がカッコよかった」と紹介。「落語やらないんですよ。馬生師匠の思い出話だけ語っていて。客が『落語をやれ』ってヤジったら『金返すよ、今日は落語やる気分じゃないんだ』って。それがしびれた。それから談志の落語を聞きに行ったら、私の好きな名人の匂いと現代の息吹、両方。こんなすごい人いない。調子がいいと、ものすごい落語をやる。当時落語協会から追い出されて、弟子から上納金は取る、寄席には出られない。そこに落研のOBの高田先生が来て、連れて行ってやる、って。談志の弟子になった」と出会いを語った。

初対面の談志さんについては「恐怖の塊。恐怖の大王が振ってきた、みたいな、震えるほど怖かった」と回想。「『明日から、俺んち来い』って。1人でいるところいったら、何もしゃべらないんですよ。空間が怖いから、しゃべっていた。したら帰り際に『ちょっと待て。余計な口聞くな。空間を埋めるな。俺に気を使わさせるな。おまえが徹底的に俺に気を使え。それだけだ、帰れ』って。口きいちゃいけないの。そういう教育だった」と語った。

談志さんの思い出の言葉について「前座から二つ目に昇進した時に、明日から雑用しなくていい、家に来なくていい、という別れ際、私の目をじっと見て、『お前だけはバカになるなよ。落語界はこんな衰退している。状況判断できないから、落語ってこんな良い物なのに世間から忘れられている。落語界でまともなのは俺1人だ。だからおまえはバカになるな』って。これが強烈だったですね。真打ちになった時に一番うれしかったのが『志らくは弟子でありながら、同じ価値観を持つ同志だ』と言われた。それで天狗(てんぐ)になって、いろんなことやったら、談志は『あいつは落語をなめてる』と言い始めた。鼻をへし折られた。でも、亡くなる前に『俺のやりたいことは、だいたいお前がやっている。だから安心だ』と。それが最後にもらった言葉ですね」と感謝した。

志らくは次週5月31日にも出演する。