国民的存在となったアイドルグループ嵐が、活動終了の日を迎えた。5月31日、東京ドームでラストツアー「ARASHI LIVE TOUR 2026 『We are ARASHI』」最終公演を開催し、26年半のグループ活動に区切りを付けた。3月13日の北海道公演から幕を開けた今ツアーは、東京、愛知、福岡、大阪の5都市をまわり、全15公演で約49万人を動員。ファンクラブ会員以外でも視聴でき、かつ外国語4言語対応の生配信も実施するなど、世界中が有終の美を目に焼き付けた。
国民的アイドルの登場を待つ声は、ステージ裏まで届いていた。「嵐!」「嵐!」。各地から届く声に応えるように、5人が止まっていた時間を動かした。
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会場スクリーンに映った数字が、再始動した日にち「2025 05 06」を指すと、メインステージ上方に5人がそろった。松本潤(42)が「嵐が帰ってきたぞ~!楽しんでこうぜ!」と開幕宣言。再会を喜ぶ歓声が響いた。
最後のステージ演出は松本を中心に練ったもの。ファンへのあいさつは、05年に松本の発案で初導入されたおなじみのムービングステージから。アリーナを縦断しながら二宮和也(42)が定番の「いらっしゃいませ~!」と出迎え、櫻井翔(44)は「日本列島、調子はどうだ?これを見てる世界中のみんな、調子はどうだ~?」とあおって全視線を引き込んだ。
約7年ぶりのツアー。櫻井の軽快なラップも、大野智(45)の澄んだ歌声も健在。5人の息の合ったダンスも、語りかけるように歌う姿も変わらない。デビュー曲「A・RA・SHI」やヒット曲「One Love」、当時コロナ禍で生披露の機会のなかった「カイト」など全33曲。「Yes? No?」では小さな旗を使い05年のライブ演出を踏襲してパフォーマンス。誰もが嵐と一緒に楽しめる3時間25分だった。
ライブ最終盤、最後のあいさつでは26年半の思いを言葉にした。松本は「メンバーの皆さん、楽しかったね」と4人とハグ。「あなたたちは最高です。愛してるぜ。これからもよろしく」と愛情を伝えた。
二宮は「何万人もいる中でこんな風に表現できるのは改めて幸せ者」とかみしめ「今日、ジャニーズ人生を終えます。ありがとうございました」と経験を背負い、新たな1歩を踏み出した。相葉雅紀(43)は「嵐は僕の人生の全てだった」とし「人生かけた嵐を支えてくれて、応援してくれて、本当にありがとうございます」と瞳を潤ませた。
大野はメンバーへの思いを口にすると頬に涙がつたった。「誰ひとり欠けることなく、みんなで作った嵐を26年間守り切れて本当に良かった。嵐はこれからも生き続けるので、僕も大切に心にしまって生きていこうと思っています」。櫻井も「5年もの間、待っててくれてありがとうございました」と涙が込み上げた。「嵐のたくさんの楽曲たち、これからも愛してあげてください。1999年ハワイで生まれ落ちた、その姿のまま5人そろってゴールテープを切れたこと万感の思いです」と振り絞った。
最後は最新曲「Five」を歌い上げ、5人で肩を組んでステージへ。嵐はなくならない-。そんな意味合いを感じさせる追加歌詞を使用するライブ用の演出で届けた。ハワイで産声を上げた日から、この日まで9755日。惜別と愛情と感謝、全てが詰まった拍手が5人に降り注いだ。【望月千草】
○…26年半の活動の中で東京ドームでの公演数は、チャリティーイベント「嵐のワクワク学校」も含める歴代1位となる91公演。この日、東京ドームの壁にはステージを見つめるように「ありがとう嵐 from東京ドーム」と多大な功績をねぎらうメッセージが掲げられた。メンバーも「ありがたいね」とかみしめていた。
○…大野は5月31日をもって旧ジャニーズ事務所時代から約32年在籍した事務所を退所した。最後のあいさつでは「こんなリーダーを、ずっとずっと支え続けてくれて受け止めてくれて。メンバー4人があなたたちだったから今日までここに立てています」と語り、大粒の涙が頬を伝った。松本からは「最高のリーダーだぜ」とねぎらわれた。
○…櫻井はMCでメンバーの人柄がにじむエピソードを語った。今ツアーの大阪公演後に5人で食事に行った際、櫻井が会計を立て替えたところ、4人が次に会ったタイミングでしっかりお金を準備して返してくれたという。「嵐の皆さんは律義。大野さんはきれいにお札を畳んだ状態で『翔ちゃんありがとう』と。相葉君は真っ白い封筒に入れて『翔ちゃんありがとう』と。松潤はポチ袋。『徳川埋蔵金』と書いてあった。ニノ(二宮)は電子マネー。キャラ出るね」と明かして笑いを誘った。
<嵐の記録アラカルト>
▼シングル オリコン週間シングルランキング首位獲得54回で歴代1位タイ。
▼ライブ 総動員1709万2000人(2000年から2026年まで)、総公演数595公演。デビュー20周年を記念したツアーは日本史上最大規模の合計237・5万人を動員。建て替えのために取り壊された東京・国立競技場では08年から13年まで6年連続でライブを開催。10年には「ARASHI 10-11 TOUR “Scene”~君と僕の見ている風景~」で、同競技場最多の4日間公演を実施。同所で最多となる計15公演を記録している。
▼オリコンランキング アーティスト別セールス部門トータルランキング1位を9度獲得。全アーティスト歴代1位。
▼アルバム オリコンの週間アルバムランキング1位獲得18回。ベストアルバム「5×20 All the BEST!! 1999-2019」(19年6月発売)は同ランキング初登場1位、初週売り上げ130・4万枚。累計330万枚を売り上げ、20年に「2019で世界で最も売れたアルバム」としてギネスに認定された。
▼総枚数 シングルCDとアルバムCDの総売上枚数は4344・1万枚。DVD・Blu-rayディスクの総売り上げ1684・8万枚。19年に「オリコン年間ランキング」でトータル1位となり、音楽総売り上げ自身最高の203・3億円を記録(オリコン調べ)。
▼最新曲「Five」 配信開始初日の再生数がオリコンランキング史上最高の320・9万回。
▼ストリーミング 「Love so sweet」が23年日本レコード協会チャートにおける同年4月度ストリーミング認定で累計再生回数1億回を突破しプラチナ認定(25年に2億回突破)。
▼ハワイ クルーザーでデビュー会見をした始まりの土地。14年に9月に15周年記念ライブ「ARASHI BLAST in Hawaii」をホノルル郊外で実施。2日間で約3万人を動員。
「いつ辞めてもいい。その気持ちは今も変わってないかも」。当時26歳、大野智は淡々と言った。生い立ちをじっくり聞く機会があり、どんな思いで芸能活動をしているのか、本音を聞きたかった。嵐はその半年前に初のアジアツアーを成功させ、人気も実績もSMAPの背中が見えてきた頃。ファンに支えられている立場は十分に理解していたが、心の片隅に「引退」の気持ちは常に置いていた。
最初は16歳。親元を離れ2年間に及ぶミュージカルの長期公演に参加。千秋楽で大粒の涙がこぼれた。もともと芸能に興味はなく、周囲の勧めで事務所に入り、部活感覚で活動していた。「これで終わり。決別の気持ちでした」。事務所トップに説得され思いとどまったが、1年後、再び気持ちが揺らぐ。「もともと絵が好きで雑誌などで見かけるイラストに興味があった」。辞める時期をうかがっていると「新しいグループに入ってほしい」と突然告げられた。ダンスや歌に非凡な才能を持っており、強く期待されていた。デビュー日も決まっており、外堀は埋められていた。「辞めようとすると、いつもそういかなくなる」と笑ったが、芸能界から離れる自分を想像することは度々あったという。
「国民的人気」を背負い奮闘したが、最終的に「自由な生活がしてみたい」とメンバーに切り出し、話し合いを重ねてグループの活動休止を決めた。かつて「やりたいことを見つけて、そのことを考え続けるタイプ。人がどうこうではなく、自分がどれだけできるのか気になってしまう」と話していた。矢印を自分に向けて歩む人生が始まる。【02年~08年担当・松田秀彦】
相葉へのインタビュー時、櫻井とカラオケに行った話を聞いた。「歌うのはたいがい嵐。こいつら本当に自分たち好きだよなーって、店員さんがビックリするんだよね(笑い)」。心から嵐が大好きだった。
グループのすべてを見せる公演を何より大事にしていた。「正直、ドラマやバラエティーだと、やりたくないことも出てくるけど、ライブは100%ハンドメイドだから」。二宮の言葉は5人の共通認識だった。
大きな叫び声がロビーに響いた。08年上海公演開演直前。「I have to go(行かなきゃ)!」。衣装を着た櫻井が会場入り口で警備員に止められていた。見たことない必死の形相。公演成功への強い思いを目の当たりにした。
松本がプロデュースした国立競技場公演。空中移動の距離などを書いた際、松本が関係者に「何で詳細が出ているんですか」と怒ったと聞いた。「まだ見ていない人もいたので…。すみません」。取材側の仕事も理解した上で、真摯(しんし)な思いを口にした。
大野は趣味の釣りで焼けて黒くなり、よくスタッフに怒られた。自然体だったが、プロ意識は高かった。櫻井の証言が忘れられない。「家のガレージで踊りの練習をしていると。レコーディングというと、ちっちゃく折りたたんだ歌詞カードがくしゃくしゃになるまで読み込んでいて…」。
歌唱力、ダンスとも実力は折り紙付き。4人の大野への尊敬と理解もあったからこそ。自然とリーダーを中心にまとまり、バランスが抜群にいいグループに成長したと感じている。【08~15年担当・近藤由美子】
「よし、決めよう」「ジャンケン、ポン!」「よーし」「うわ、マジか~」
19年11月9日深夜、アジア4都市をまわって会見するキャンペーン「JET STORM」へ出発する嵐の、羽田空港内を移動するバスでの1コマだ。搭乗機には中央の空間に向かい合うような2組のいすがあり、4人が座る。1人だけ、隣接する別の部屋のいすを使うことになる…という席決めジャンケンだった。負けた松本潤が、1人の席になった。「いつもあんな感じですよ」と笑っていた。約39時間の強行スケジュール。勝った1人ではなく、負けた1人が別の部屋になるのも嵐らしい。仲の良さを象徴したシーンだった。
平成初期から中期にブレークしたスターたちには、いい意味で、集合するとピリッとした緊張感があった。SMAP、とんねるず、ダウンタウン、当時のモーニング娘。などなど…。絶対的なオーラで周囲を畏怖させることすらあった。
どちらのほうがいい、という話ではないが、一方で嵐は親しみやすさや和やかなムードが特長だ。ツアーの地方公演ではライブ後5人で夕食に行く。結果的には活動終了までの27年、「嵐は5人で嵐」を貫いた。
平成後期や令和は、仲の良い空気をまとう人気タレントが目につく。コンビで常に同じ楽屋を使い一緒に行動するサンドウィッチマン。舞台裏での「わちゃわちゃ」した雰囲気で知られる乃木坂46。嵐の後輩だとSnow Manらもメンバー9人が非常に親密だ。
図らずも時代が嵐にマッチした部分もあるかもしれないが、嵐が1つの時代の流れを作ったのは間違いないだろう。日本の芸能界にも大きな影響を与えた、希代のグループだ。【16~24年担当・横山慧】