「ブルー・ライト・ヨコハマ」などを手がけ、昭和の音楽界をけん引した作詞家橋本淳(はしもと・じゅん)さん(本名与田準介=よだ・じゅんすけ)が5月21日午前8時25分、肝硬変のため東京都港区の病院で死去した。86歳。東京都出身。告別式は近親者で行った。喪主は長男で、MISIAらを手がけた音楽プロデューサー与田春生(よだ・はるお)さん。
与田さんは日刊スポーツの取材に応じ、橋本さんの近況を説明した。昨年4月に肝臓がんが判明。治療の結果、体調は回復したが肝硬変となり、年明けから入退院を繰り返した。死去の前日には妻や親族らと楽しいひと時を過ごしたという。人柄について「頑固で偏屈な昭和のオヤジです。でもとても話が上手で面白い。その温かい人柄もあって友人に恵まれた人生でした」としのんだ。
橋本さんは父親が児童文学者(童謡「ことりのうた」を作詞の与田準一さん)だった影響もあって小説家を目指していたが、青学大在学中に作曲家すぎやまこういちさんと知り合い、独学で作詞を始めた。
1966年(昭41)に藤浩一らが歌った「黄色いレモン」以降は青学高・大学の1年後輩だった作曲家筒美京平さんとのコンビでヒット曲を連発。いしだあゆみ「ブルー・ライト-」のほか、野口五郎「青いリンゴ」、郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」、小泉今日子「半分少女」などを世に送り出した。
グループサウンズの代表的作家としても知られ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」は67年の日本レコード大賞に輝いた。
時代に寄りそうヒットメーカーとして走り続け、アイドルソングからアニメ主題歌まで幅広いジャンルの約2000曲を作った。