<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
プロボクシング元WBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松(本名鈴木有二=すずき・ゆうじ)さんが2日、肺炎のために都内の病院で76歳で亡くなった。11日に所属事務所ガッツエンタープライズが発表した。複数の現場、案件を掛け持ちしていた中、流れてきた訃報(ふほう)に驚いた。そのうち、脳裏にゴツゴツとした、大きな拳が浮かんできた。石松さんの代名詞“幻の右”を生んだ、右拳である。
1度だけ、石松さんを取材したことがある。22年8月24日に都内で行われた映画「AKAI」の完成披露舞台あいさつに、石松さんが来場した。同作は、石松さんの後輩で世界戦にも挑んだ元プロボクサーで俳優・タレントの赤井英和(66)の人生を、長男で帝拳ジム所属のプロボクサー・英五郎監督(31)が撮影、編集したドキュメンタリーで、石松さんは作品を見るために会場入りした。
石松さんにとって、赤井は、自身を含む6人の世界王者を生んだ米国人の名伯楽エディ・タウンゼント・トレーナーを、ともに師と仰ぐ弟弟子に当たる。また映画の劇中でで映像が紹介される、赤井が1983年(昭58)7月7日にブルース・カリーに挑戦して7回KO負けした、WBC世界スーパーライト級王座戦の、テレビ中継の解説を務めた縁もある。また、赤井が83年10月の再起戦で10回判定勝ちした新井容日は、5年前の78年6月には石松さんが10回判定負けして引退に追い込まれており、先輩、後輩の因縁は深かった。
記者はボクシングおたくで、練習生レベルながらボクシングジムに通っていたことがあり、石松さんを取材する機会を心待ちにしていた。映画の配給・宣伝サイドと交渉し、舞台あいさつ前に個別に写真を撮る約束を取り付け、先輩カメラマンと控室を訪ねた。その際、ファイティングポーズはお願いするとして、偉大なボクサーでありタレントとしても人気だった、石松さんに、十八番のネタ「OK牧場」を頼もうかとも思っていた。
顔色を見て判断しようと、控室のドアを開けた瞬間、部屋の奥にいた石松さんと目が合った。その眼光の鋭さに「OK牧場」を頼もう、などという気は瞬時にうせた。寡黙で、口を全く開かない石松さんに、ヘタに「OK牧場、お願いします!」なんて頼んだら、殴られるんじゃないか? と思うほど、すごみのある…完全にボクサーの目だった。
先輩カメラマンが「ガッツポーズ、お願いします」とリクエストすると、石松さんはひと言も言わず、拳を握り締め、赤井親子と並んでの3ショットに応じた。その拳を見て、大きさにまた驚いた。当時、原稿には「拳を目の当たりにして、その大きさと、すごみに戦慄(せんりつ)すら覚えた。7月の東日本新人王ミドル級4回戦でプロ初勝利を挙げた現役、しかも4階級も上で46歳も年下の英五郎監督と比較しても、大きくすら感じられた」と書いている。
それが、その後、行われた上映前の舞台あいさつで、石松さんは司会のフリーアナウンサー笠井信輔(63)から紹介されると「OK牧場! OK牧場!」と連呼しながら両手でガッツポーズを披露した。さらに、赤井から「この映画は、ガッツ先輩も出ていらっしゃいますんで先輩、真ん中で」と呼びかけられると、予定はなかったものの快く登壇し、檀上でもガッツポーズを披露するなど、お茶の間を沸かせたガッツ石松、そのもののパフォーマンスを見せた。
さらに、1974年(昭49)年4月11日にロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)に8回KO勝ちし、WBCライト級王座を獲得した試合で飛び出した、ガッツポーズのエピソードを熱く語った。
石松さん 皆さん、あの、ガッツポーズってあるけどね。これはね、ガッツ石松がやったポーズが、ガッツポーズって言われるようになったんですよ。私が世界チャンピオンになって…私は(世界王者になる前に)11回負けて5回引き分けたんです。なれるわけないという発言もされた。だけど、経験を積んでチャンピオンになった。その時に「やったぞー」って言って、ポーズをやったことで、ガッツ石松の勝利のポーズからガッツポーズと言うようになった。特許、取っておけば良かったね。
石松さんの戦績は51戦31勝(17KO)14敗6分と負け、引き分けが多いが、全日本ライト級新人王、OBF(東洋)ライト級王座、WBC世界ライト級王座を獲得した。ライト級の体重の上限135ポンド(61・235キロ)は、世界各国の成人男性の平均的な数値と言われるだけに、全階級でも屈指の層の厚さを誇る。そんなライト級で、石松さんは世界屈指のボクサーたちと、しのぎを削ってきた。
世界戦前に喫した11敗のうち、5敗の相手は世界王者経験者だ。中でも、世界王者になった前年の73年9月8日のWBAライト級王座戦で10回TKO負けした、ロベルト・デュラン(パナマ)はライト、ウエルター、スーパーウエルター、ミドルの4階級を制覇した、ボクシング史に残る名王者だ。中でも全盛期と言われるのが、石松さんが戦ったライト級王者時代で、10連続KO勝ちを含む12度の防衛を果たした。
また、5引き分けのうちの1つは、1964年(昭39)にフェザー級で東京オリンピックに出場後、プロに転向した高山将孝さんの持つ日本ライト級王座戦に挑戦した際のものだ。その高山さんも、石松さんが戦った翌年の74年にデュランの王座に挑み、1回TKO負けした世界挑戦者だ。
アジア人として、初めて世界ライト級王座を獲得した石松さんは、5度の防衛に成功した。74年11月の2度目の防衛戦で、前王者ゴンザレスを12回KOで返り討ちにすると、75年2月の3度目の防衛戦では、72年6月の3度目の防衛戦でデュランに13回TKO負けでWBA王座を失った、ケン・ブキャナン(英国)に15回判定勝ちと、世界王者経験者を連破した。
76年5月の6度目の防衛戦で、エステバン・デ・ヘスス((プエルトリコ)に15回判定負けを喫して王座を失ったが、そのヘススも72年には無冠戦ながらデュランを10回判定で破り初黒星をつけた強豪だ。ヘススは、石松さんから王座を奪う2年前の74年に、デュランのWBAライト級王座に挑み11回KO負けしたが、石松さんからWBC王座を奪うと3度の防衛に成功。78年1月には、デュランとWBA、WBC王座をかけた統一戦で3度目の決着戦を戦い、12回TKO負けした。
石松さんは、ヘススに負けた翌年の77年2月に、1階級上のスーパーライト級のWBC王者センサク・ムアンスリン(タイ)に挑戦も、6回TKO負け。2階級制覇を逃すとともに、世界戦で2連敗した。そのセンサクも、ルンピニー・スタジアムのスーパーライト級王者に輝いたムエタイの実績を引っ提げ、74年に国際式ボクシングに転向すると、翌75年にわずか3戦目でWBCスーパーライト級王座を獲得。世界王座奪取の史上最短記録は、47年たった今も破られていない。さらに同王座を通算8度、防衛しており、実力は評価されている。
石松さんとは結局、直にお話を聞き、取材する機会はなかった。寡黙だった控室とサービス精神旺盛だった舞台あいさつ本番と、180度、振る舞いが違った理由が何故だったか、本当のところは今も分からない。あくまで記者の得た印象としては、控室に記者とカメラマンが入って、微動だにせず、じっと見つめるその目は、ボクサーだった。他に部屋にいたのが弟弟子の赤井と、その息子で現役プロボクサーの英五郎監督だけ、というのも、あったかも知れないが、ボクサーとして、その場にいたようにしか見えなかった。
それが、登壇の予定もないのに、赤井から促されて観客の前に立つと「OK牧場!」と連呼し、タレントのガッツ石松になった。自分をタレントと認識する世代が圧倒的に多かった観客の前で、期待通りにタレントとして振る舞い「OK牧場の特許、取っておけば良かったね」と言って、観客を笑わせた。
記者は、石松さんの世界タイトルマッチの映像を、ほぼ全て見ており、日本ボクシング史に残る王者だと尊敬してきた。当時、米老舗ボクシング専門誌「ザ・リング」選定のパウンド・フォー・パウンド(PFP=階級を超越した最強ボクサー)ランキングで、WBAスーパー、WBC、IBF世界バンタム級王者だった井上尚弥(33=大橋)が、日本人初のトップにランクされた。そのことを受け、原稿に「石松のプロボクサーとしての、すごさを若い世代にも知って欲しいし、当時の映像も見て欲しい。『OK牧場!』とは、ひと味もふた味も違う顔を見ることができるはずだ」と書いた。
石松さんは亡くなってしまったが、過去の世界戦の映像は残る。本当に強かった石松さんのことを「OK牧場」しか知らない世代に、改めて見て、知って欲しいという思いしか、今はない。【村上幸将】