梶原阿貴氏「私、爆弾犯の娘」父実行犯クリスマスツリー事件現場近くで受賞スピーチ/日プロ大賞

「桐島です」で作品賞を受賞し、主演男優賞の毎熊克哉(右から2人目、プレゼンターの奥田瑛二(右端)と記念撮影する、脚本の梶原阿貴氏(左端)と製作総指揮の長尾和宏氏(撮影・野上伸悟)

<第35回日本映画プロフェッショナル大賞>◇20日◇テアトル新宿

作品賞と毎熊克哉(39)の主演男優賞の2冠を獲得した「『桐島です』」の脚本を手がけた、脚本家の梶原阿貴氏(53)が、欠席した高橋伴明監督(77)に代わって登壇した。「私、爆弾犯の娘、梶原阿貴でございます」とあいさつし、会場を沸かせた。

梶原氏は、1971年(昭46)12月24日に、東京都新宿区内で発生した「新宿クリスマスツリー爆弾事件」を起こした左翼「黒ヘルグループ」の実行犯の1人・譲二さんを父に持つ。事件は、交番に置かれていたクリスマスツリーが爆発し、確認に当たった警察官ら6人が重軽傷を負い、俳優だった譲二さんは指名手配、逮捕され懲役6年の実刑判決を受けた。梶原氏は「『桐島です』」公開前の25年6月24日に出版した著書「爆弾犯の娘」(ブックマン社)で、そのことを明かし、話題を呼んだ。

作品賞の前に、監督賞を受賞した「ゆきてかへらぬ」の根岸吉太郎監督(75)が登壇。受賞スピーチで「伊勢丹の横に、シネマ新宿という小さくて、大きな柱があって、すごく見にくい映画館があった。そこで、ミケランジェロ・アントニオーニ(監督)の『BLOW-UP』という映画を見ていたら、頭の上でものすごいドンッという音がした」と、新宿クリスマスツリー爆弾事件に遭遇していたと明かした。さらに「一体、何なのかな? と思って、そのまま映画を見続けて、出たら町は大混乱していて。当時のガールフレンドが『大学生で、余計な尋問されたりするといけないから逃げよう』と言われて.パーッと逃げた。こうやって年月を経て、その娘さんと隣同士で座る。なかなか不思議な人生」と語った。

梶原氏は、そのスピーチを受けて「先ほど、根岸監督から大変、丁寧なご紹介をいただきました」と感謝。その上で「今(地下鉄の)新宿三丁目の駅から来たんですけど、伊勢丹の前の追分交番がございまして、そこが事件現場。大変、申し訳ない気持ちでこちらに伺いました」と口にした。さらに「私がやったわけではないので、私は反省しておりません」と続けた。

「『桐島です』」の脚本を書いた経緯については「桐島聡の手配写真が、ずっとあった隣に、うちの父の写真がずっと貼られていました。そのようなご縁で、お話をいただいた時、私にしか書けない脚本だと思った」と振り返った。「桐島聡が50年前に何を考えてあのようなことをしたのかは、50年たった今に直結している問題。よく考えて、もう1度見たら、また違う楽しみ方があると思います」と強調。さらに「全ての差別と戦争に反対します」と訴えた。

梶原氏は、1990年(平2)の映画「櫻の園」(中原俊監督)の久保田麻紀でデビューした俳優出身の脚本家でもある。この日、特別功労賞を受賞した塩見三省(78)が、14年3月に脳出血で倒れた体を押して登壇する際に、自らステージ中央に立った。そして「塩見三省さんとは、35年前に『シーズン・オフ』(中原俊監督)という映画で共演し、35年ぶりにお会いすることができました。晴れの場で再会できたことを、映画の神様に感謝して、司会じゃないけどお出迎えしたいと思います」と、塩見を温かく壇上で迎えた。【村上幸将】