シャンソン歌手、俳優美輪明宏(みわ・あきひろ)さん(本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)が20日に老衰のため死去したことが28日、美輪さんの公式サイトで発表された。91歳だった。
美輪さんは64年に発表した「ヨイトマケの唄」で一躍脚光を浴びた。九州の炭鉱町の寂れた劇場で公演した時、多くの労働者がなけなしの金をはたいて詰め掛けた。その光景に美輪は「この人たちを励まし、慰める歌が必要だ」と思い、作ったという。ヨイトマケは地固めで重いつちを滑車で上下する時の「よいと巻け」の掛け声が語源とされ、その労働に携わる人も意味する。美輪さんは後年、小学校時代の同級生とその母の姿から着想を得たことも明かしている。
当時、テレビで歌ったところ、数万通の投書が来る騒ぎとなった。しかし、歌詞にある「土方」が差別用語と指摘された。それでも65年にNHKから紅白歌合戦への出演依頼があったが、当時、出場歌手には2分30秒から3分までという時間制限があった。7分と長い曲だった「ヨイトマケ-」は全部を歌うことができないため辞退した。
その後は長年にわたって事実上の“放送禁止歌”の扱いを受けてきた。「土方」を前提とする差別用語があるとして、民放連からは「要注意歌謡曲」指定を受け、83年まで放送禁止とされてきた。指定の廃止直後も慣例的にオンエアは控えられた。NHKは放送を問題視はしていなかったものも、地上波で同曲を耳にする機会は極めて少なかった。
風向きが変わったひとつの出来事は、ひとりの著名歌手がこの歌に感銘を受け、歌い継いだことだった。サザンオールスターズ桑田佳祐が93年のイベントにソロで出演した際、この楽曲を歌い、翌94年のソロツアーでもセットリストに入れた。当時の桑田は、サザンや自身のソロ楽曲の方向性を模索している中で、「ギター一本持って、こたつの向こうの友達に歌う。その時の説得力を、久しぶりに思い出した」と、「ヨイトマケ-」が持つ楽曲の力に感銘を受けたことを明かしていた。さらに桑田は2000年の地上波バラエティーでもこの楽曲を歌った。放送の際は「この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身によるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである」とテロップが流れ、楽曲への深い愛着と挑戦の姿勢を示したことも語り草に。さらに自身の02年発表のベスト盤にも収録した。
桑田の“解禁”後、泉谷しげる、氷川きよし、米良美一らも「ヨイトマケ-」をカバーしている。さらに12年には、美輪さん自身が同曲で紅白初出場。最初の打診から実に47年後の実現だった。原曲より1分短いながらも、当時の紅白では長尺の6分アレンジ。NHKは「美輪の歌に込めた思いが一番伝わる曲だから。歌詞にストーリーがあってカットできない」と説明していた。美輪さんは黒バックに黒の衣装のシンプルなセットで歌い上げる、圧巻のステージを披露。「ヨイトマケ-」が“呪縛”から完全に解き放たれた瞬間でもあった。