シャンソン歌手、俳優美輪明宏(みわ・あきひろ)さん(本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)が20日に老衰のため死去したことが28日、美輪さんの公式サイトで発表された。91歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、お別れの会やしのぶ会の予定はないという。長崎での原爆体験から平和への願いを発信し続け、人生相談などでも知られた唯一無二の存在だった。
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公式サイトで「歌手で俳優の美輪明宏が、6月20日午前9時30分、老衰のため91歳で永眠いたしました」と報告された。この1年は高齢のため仕事をセーブし体力の回復に努めていたが「約3カ月前に体調を崩してからは、自宅で静養しておりました」としている。
また「最後は『ありがとう』と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました」と明かされている。
すでに執り行われた告別式については、生前好きだった黄色いバラを祭壇に飾り、棺にはファンからの手紙が納められたという。
美輪さんの直筆メッセージも添えられた。「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません 美輪明宏」と記されている。
常々口にしていた言葉だったそうで、発表文には「美輪の願いは、この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現でした」と、説明が添えられた。
美輪さんは体調を崩す約1年前まで、舞台や、歌とトークで構成した音楽会などに精力的に出演していた。ただ、今年1月の紀伊國屋演劇賞授賞式は欠席し、メッセージが代読された。
シャンソン歌手として「メケ・メケ」、作詞作曲した「ヨイトマケの唄」などのヒット曲を持ち、舞台俳優としても活躍。アニメ映画「もののけ姫」(97年)では山犬神役、「ハウルの動く城」(04年)では荒地の魔女役など、個性的な演技で魅了した。
10歳の時、長崎で原爆被害を目の当たりにした。部屋の中でほんの少し身をかがめていたことで生き延びた経験は、その後の生き方を大きく変えた。
性的少数者であることを告白、人気が低迷したこともあったが、雑音を気にすることはなかった。バラエティー、ラジオ、新聞などでの人生相談では示唆に富んだ回答や、相手を思いやる言葉、真理を突く答えに、多くの人が救われた。自分を貫いてきた美輪さんにしか発することのできない言葉の数々だった。
生き方そのものが、芸能という枠を超えた「美輪明宏」というジャンルだった。
◆美輪明宏(みわ・あきひろ)本名・丸山臣吾(まるやま・しんご、後に明宏に改名)。1935年(昭10)5月15日、長崎県生まれ。丸山明宏の名前で52年、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌手デビュー。57年「メケ・メケ」で人気になり、66年「ヨイトマケの唄」で支持を得る。72年、姓名判断で美輪明宏に改名。故寺山修司さんの劇団「天井桟敷」の設立に参加。「毛皮のマリー」などの代表作に主演。87年に初のシャンソンのヨーロッパ公演を。舞台はほかに「愛の讃歌 エディット・ピアフ物語」など。「もののけ姫」「ハウルの動く城」に声優として出演、NHK紅白歌合戦に12年から4年連続出場。テレビ朝日系「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」などバラエティー番組でも活躍した。