野田秀樹「演劇キャリアの次のステージに入ったと確信」 ロンドン公演千秋楽 現地で激賞

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阿部サダヲ、広瀬すず、深津絵里が出演し、野田秀樹が手がけるNODA・MAPの舞台「華氏マイナス320°(さんびゃくにじゅうど)」(英語タイトル『-320°F』)のロンドン公演が10日(日本時間11日)に千秋楽を迎えた。公演を終えた野田が書面でコメントを発表した。

日本で4月10日に初日を迎え、北九州、大阪と続いた同作公演の大千秋楽でもあり、現地では20を超える劇評が掲載され、「圧倒的なエネルギーを携えてロンドンへ帰還」「見たこともないような前代未聞の作品」と激賞された。野田は「私の演劇キャリアの次のステージに入ったのだと確信できた」と話している。以下、コメント全文。

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今回のロンドン公演は、この地での次のステージに入ったのだと確信できた。

日本語オリジナル原作の日本語キャストによる公演は、こちらではまれだ。近年興行的に大成功した「千と千尋」という例外はあるけれども、これは「アニメ」という、世界にすでにとどろいていた原作の力が大きかったのだと思う。日本のアニメがすでに世界に届いている、そのことの証明でもあった。

だが、日本の劇作家が日本語で書いて、日本の演出家が日本の役者、スタッフとで作り上げたいわゆる「日本の現代劇」がロンドンで上演されることはまだまだ普通のことではない。

そんな中で今回の「華氏マイナス320°」の公演は、この地での私の演劇キャリアの次のステージに入ったのだと確信できた。

次のステージに入ったと思えたのには、まず劇評(の数の多さ)に現れている。20以上の劇評が出た。これほどの数の劇評をいただいたことはない。そして五つ星、四つ星(5段階評価)をはじめほとんどの評が好評だった。最近はいい劇評をもらっても、それを追ってロンドンの客がこぞって芝居を見に来る頃には、私たちはもう飛行機の中にいた。帰国の途についていた。つまり公演数が少なかった。そこで、今回は初日から大入りになることを期待せず、イチかバチかで公演数を増やした。好評であれば観客は千秋楽に向けてウナギ登りに増えていく。そして実際にそうなった。

私の芝居がロンドンの観客に大いに受け入れられたのは初めてではない。だがかつては、そうした批評の冒頭に、まず私が何者か、どういう作家で演出家なのかを紹介するところから始まった。だが今は「ヒデキノダの芝居が、○○とともに帰ってきた!」といったサブタイトルになっている。感慨深かった。何の紹介もなく「ヒデキノダの芝居」で済むようになったのは、長くこの地で芝居を見せ続けてきたゆえんでもあるが、彼らの芝居観についに届いた、(まだ少しばかりではあるが)そこに風穴をあけることができた証でもある。

現に劇評の中に多く見られたもののひとつは「きっと全部理解できたわけではないだろうが、このロンドンでは見たことのない芝居であり、劇場へ行く価値がある」といったものだ。これは、演劇の本場英国の、自信満々の自分たちの価値基準、それとは違ったところにも価値を認めたという意味で大変意義深いのではないか。やっとではあるけれども、してやったりという気はする。ロンドンは今まで、「ストレートプレイ」という身体を使わず、セリフだけで芝居をするのが、普通の芝居であった。身体を使うとしたら、歌って踊る「ミュージカル」であるか、セリフも歌もない「コンテンポラリーダンス」ということになる。

私の芝居のように「身体もコトバもフルに使う芝居」は、存在しなかったと言える。だから、「私たち(英国人)の芝居にはない、とにかく、目を離せない奇妙なことが起こり続ける芝居なのだ。ここで今書いている以上にキッカイな芝居だ。見た方がいい」という劇評を生み出した。

さらに楽屋口で「次はいつ、何を持ってくるの?」と聞かれる。その度に、ただ受けたのではなく、このロンドンの地にいよいよ受け入れられるようになった、次のステージに入ってきた、そう実感する。

わたしの20年前に生まれた蜷川幸雄が、かつてシェークスピア作品を引っ提げて、この英国で芝居を打ち続けた。勝手にそのバトンを引き継いでいるつもりだ。きっと走り方は全く違うだろうし、時に転びそうになったり、バトンを落としかけたりしながら、やっとここまで来た。私が走ったこの先に、このバトンを渡すべき「若い演劇人の手」が待っているのを私は信じている。野田秀樹