<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
いよいよ7月も終わり、もうすぐ8月がやって来る。8月のおしまいには65歳の誕生日、長らく勤めた日刊スポーツとも今生の別れ。晴れて9月からは、どこにも属さない野良犬のような“野良記者”生活が待っている(笑い)。果たして餌はもらえるのだろうか。
で、会社を辞めるに当たって、いろいろと手続きが必要だ。そういうことが嫌だから、会社を辞めずに頑張ってきたのに、年金の通知も見当たらないし、健康保険はどうなるかも皆目、見当がつかない。
毎日のように酒を飲んで好き勝手な記者生活を送ってきたので、健康第一が身に染みている。“日本一健康問題に詳しいアナウンサー”生島ヒロシ担当を30年近くやって来たので、健康診断は怠らない。60歳で定年再雇用になり、給料が安くなっても、仲間の記者たちに「会社は健康診断のために勤めていると思え」と話してきた。
健康管理は怠らないが、万が一のことがあるので、いつ倒れてもいいように有給を30日ばかり残してきた。残り3カ月になったところで、総務のお姉さんに「有休って1日1万円くらいで買い上げてくれるの」と聞いたら、にらまれて「消化しなくてもいいけど、お金は出ませんよ」と宣言された。
ならば残り3カ月で有休30日を消化してやろう。“記者魂”に火がついた。つまり、残り3カ月は1カ月に“10日の有休と9日の公休”を消化するという、会社員生活最後の目標を立てた。ザッと考えて、残り90日で60日休むというバラ色のサラリーマン生活だ。
もちろん、どこでも原稿は書ける“リモート社会”。休みの日でも、自分の担当はこっそりと取材に行って仕事をする“闇営業”。闇営業なら、7年前に大騒動になった時に、担当として取材経験はたっぷり。取材現場から、埼玉まで父親の墓参りに行って、実家で原稿を書き、実家の庭にザクロ、ビワ、レモン、カキ、アボカド、ナス、トマト、キュウリ、アサガオ、ダリアを植えて世話をし、胡蝶蘭の植え替えをするという田園紳士の生活を満喫している。
それでも、元々の芸風があるから酒席にお呼びがかかる。週刊誌の記者に芸能事務所関係者、7月は1月早く65歳を迎えて、引退するという同業他社の記者のお別れ会に2日連続で出た。1960年代に中日のエースだった権藤博投手の「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤」もかくたるものかというくらい、90年代前半は「合コン、合コン、雨、合コン、雨、雨、合コン」という感じだったのが、はるか昔に戦力外。
それでも、今週の木曜に週刊誌の記者からお呼びがかかった。40歳以上も若い女性記者もいたのだが、そこは業界の先輩として2次会で、かのクイーンのボーカリスト、フレディー・マーキュリーもお気に入りだった新宿二丁目の「九州男」という名店にお連れしてもてなした。
で、問題は翌日だ。若き日は前の日のお酒が残っていても“酔い戻し”の勢いで、朝っぱらからテンション高く仕事をこなした。現在は、あの「週刊朝日」を100万部の大台に押し上げた名編集長、扇谷正造氏が言ったという“一日戦死”の状態だ。金曜日には映画の試写を1本見て、夕方までにインタビュー取材の質問事項をメールで送らなければならなかったのだが、少し息を吹き返したのが午後9時近く。ヘロヘロのままパソコンを開いて試写を見て、やっとの思いで質問事項を送った時は“日付変更線”を超えようとしていた。
で、本日も昼過ぎに起き出して、そば屋で天丼を食って、屋外プールで日光浴&読書。ジジイになって顔にシミが出てきたので高い金を出して、処方してもらった美白の薬を朝晩飲んでいるのだが日光浴はやめられない。
そして、夜は“闇営業”で某お笑いコンビの単独ライブに行き、終演後に話を聞いてきた。お笑いも素晴らしかったが、これからの人生の指針となるようなヒントもいただいた。まことにもって人生は無駄がない。
このまま行けば、7月には出勤12日、休み19日となる予定。あとは、出勤が6日に休みが25日というハードな8月の予定で、どう“闇営業”をこなして、有終の美を飾る大スクープをものにするかの一点だけだ(笑い)。【小谷野俊哉】